こころの電話

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1月1日~この世の道理に目覚めて…

 二〇二三・令和六年、明けましておめでとうございます。

 本年も、覺照寺「こころの電話」をよろしくお願いいたします。

 さて、お正月のお寺の掲示板には、先日読んだ本の中にあった法語をお借りして掲示しました。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 お釈迦さまがお説きくださった仏さまの教えとは、特別な難しい教えではありません。

 縁起といって、私のいのちは、多くのいのちによって支えられ、生かされ、お互いにつながっているのですよという教えです。

 無常といって、すべてのものは常に移り変わり、老、病、死をかかえた私自身も、いついかなる時にどうなるか、はかることはできませんよという教えです。

 無我といって、伴侶や家族、財産など、常々頼りにしているものが本当は頼りにならない存在ですよという教えです。

 お釈迦さまは、この世の道理に目覚めなさい。本当に頼りとなるものを頼りとして生きていくことを、仏教という教えをもって示されたのであります。

 そのことを、親鸞聖人は、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とおっしゃいました。

 今日一日、多くのいのちによって支えられた私のいのち。いついかなる時にどうなるかわからない私のいのち。頼りとしているものが頼りとならない世の中で、生きていく私を、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、そのまま抱きとめ、仏さまの道へと常に導いてくださいます。

 今年一年、南無阿弥陀仏のお念仏とともに、周囲の方々にはやさしく、周囲の方々のしあわせを願って、力強く生きていきましょう。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 本年もよろしくお願い申し上げます。

1月1日~この世の道理に目覚めて…2024年01月05日【443】

12月16日~やがて務めを終えるときに…

 年末とは思えないほどの暖かな日が続きます。

 さて、先月末、人形供養法要に出向きました。会場には、ご本尊の回りにさまざまな人形が供えられ、その前でお勤めをしました。

 子どもの健やかな成長を願って求めた兜の人形や雛人形。旅行からのお土産や記念でしょう。地方色豊かな日本人形や西洋からの人形。ゲーム機で取ったのでしょうか、キャラクターや動物の小さな人形から大きなぬいぐるみまで。私たちの生活の場で、あるときは人々にやすらぎを与え、あるときは幼い子どもたちに微笑みを与え、あるときは人々の心に癒やしを与え、その務めを終えたたくさんの人形たちの感謝のご法要でした。

 私たちは普段、たくさんのモノによって生活を支えられていますが、そのモノたちが務めを終えたとき、感謝の心で処分をしているでしょうか。

 例えば下着や靴下や洋服など。毎日私たちの汗にまみれて、何回も何回も洗濯機でもみくちゃにされて、やがて務めを終えていきます。その時に、感謝の思いで手を合わせているでしょうか。

 時折、お寺に新車を求めたのでお勤めをしてくださいと来られ、お寺ではお祓いはしませんから、仏式での意義を伝えてお勤めしますが、逆に下取車を出すときに手を合わせて見送っているでしょうか。

 雨風をしのぎ、仕事やレジャーのために奔走し、いよいよ古くなって売られていくとき、感謝の思いで見送っているでしょうか。

 身の回りのモノは、すべて私の毎日を支えるものではありますが、その陰には多くの人々がかかわっていることも忘れてはなりません。

 年末に当たり、この一年、私の日暮らしを支えてくれたすべてのモノと人に感謝をし、合掌とともに過ごしたいと思います。

 今年一年、覺照寺心の電話をお聞きいただき誠にありがとうございました。

 令和六年は、元旦の朝、内容が変わります。皆さま和やかなお年をお迎えください。

12月16日~やがて務めを終えるときに…2023年12月16日【442】

12月1日~自分を偽らない生き方

 いよいよ今年もあと一月となりました。

 さて、先月下旬、ご門徒の方々と一緒に、鹿児島市の宝山ホールで行われた前進座特別講演『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』の観劇に行きました。

 平安時代から鎌倉時代へ。天災や飢饉や疫病の上に戦乱の世の中、師匠である法然聖人と共に、救いを求める人々に「南無阿弥陀仏」のお念仏を広める親鸞聖人と、それを支える妻・恵信尼公の生涯を描いたものです。

 物語は、比叡山で修行をする若き頃の親鸞聖人と恵信尼公との出逢いから始まり、法然聖人との出逢い、時の権力者からの弾圧、そして越後(新潟)への流罪、関東での布教、晩年の京都での生活と、前進座の役者さん方によって見事に繰り広げられていきます。

 ふり返れば、鎌倉時代の比叡山では、妻帯というのは公然の秘密だったそうです。

 そういう状況の中で、初めて妻帯を公にされたのが親鸞聖人と言われています。

 それは、当時公には許されなかった僧侶の妻帯という行為を、自分自身の信仰体系の中で、きっちりと定着させたと言うことでありましょう。

 人間は自分の行為に矛盾があるとその行為を隠します。親鸞聖人は、僧侶である自分が妻を持つという行為が、仏さまを信仰していく人生の中で、まったく矛盾がないことが確信できたから、自然に公にできたわけす。

 聖人にとっては、僧侶として妻を持つか持たないかが問題ではなく、妻を持ってお念仏の生活ができるかできないかが問題で、そこには、妻帯をしてお念仏の道を歩むのが、一番自分を偽らない生き方だと確信があったのです。

 その親鸞聖人のご法事・報恩講法要を今月九日・土曜日と十日・日曜日にお勤めします。

 お内陣を美しくお飾りしてお勤めしますので、どうぞお誘いあわせの上、お参りください。

12月1日~自分を偽らない生き方2023年12月01日【441】

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