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4月16日~確かな意味が与えられる
四月も半ばを迎えます。
新たな生活に戸惑いを抱えながら、日々過ごされている方もいらっしゃることでしょう。
さて、今月のお寺の掲示板には、「出会い~ 本当に不思議なもの」と掲げさせていただきま
した。
多くの人と出会うことによって感動を覚え、様々な情報に出会って視野が広がり、喜びや悲しみ、苦しみ悩むことによって人生が豊かになる。
私たちは様々な出会いの中で、日々を過ごしています。
また時には、出会いの中で自分の生き方が変わったり、自分の都合の良いことに出会えば喜んで、自分に都合の悪いことに出会えば妬み、腹立ちが起こり、出会いによって心が多様に変化するのも人間の姿です。
浄土真宗のみ教えをお説き下さった親鸞聖人も、多くの出会いの中で人生を歩まれました。
争いが頻繁に起こり、災害や飢饉が繰り返し起こる時代にお生まれになり、幼い頃にお母さまを亡くし、お父さまともお別れし、わずか九歳で出家しなければなりませんでした。
その後も、度重なるご苦労の中で、多くの苦しみや悲しみと向き合い、九十年というご生涯を生き抜かれました。
しかし、辛いだけの人生ではなかったと親鸞聖人は、私たちに伝えて下さっています。
人は苦しみや悲しみから離れることはできないけれども、人生において、出会う一つひとつの出来事に、確かな意味を与えて下さる、阿弥陀如来という仏さまが、この私に常に寄り添ってくださっていることを、親鸞聖人は教えて下さっています。
私の人生において出会う喜びや悲しみ、苦しみや悩みの一つ一つに大切な意味があることを教えてくださり、限りある人生の中で、まことの幸せを感じながら生きる道をお聞かせいただくのが浄土真宗のみ教えです。
それは日々の聞法の生活から開かれていくものです。
4月16日~確かな意味が与えられる | 2025年04月21日【473】
4月1日~今はただ、遺徳を偲びつつ…
桜が美しい季節です。
明日ありと思うこころの徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人が、九歳の春、出家・得度をされるときに詠まれたと伝わる歌で、明日はどうなるかわからない命のはかなさを桜の花に喩えたものです。
会者定離 かねてありとは聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり
親鸞聖人が、流罪によってお師匠である法然上人と別れなければならない悲しさ、離れがたい思いをお詠みになった歌ですが、この歌も離別は無常であることを伝えるためによく紹介されます。
この度、覺照寺の前住職が享年九十八歳にて往生の素懐を遂げました。
高齢の身で、歩行は少しおぼつかない状況もありましたが、食事を作ること以外、日常のことはすべて自分で行うほど元気でありましたが、突然のお別れとなりました。
先月三月二十日、二十一日のお彼岸法要には、お袈裟を付けてお寺の内陣に出勤し、参拝のご門徒方にお礼を述べ、「今月三十日、あと十日もすれば私も九十七歳を迎えます」と申しておりましたが、それも叶いませんでした。
高齢ですので、その時はいつきてもよいと覚悟はしていたかもしれませんが、きっとこのように突然にとは思わなかったことでありましょう。
私たち家族もまさかこんなに早く突然にとは夢にも思わず、命のはかなさを痛感することであります。
散っていく桜の花びらは周囲の人々だけでなく、散っていく一枚一枚の中に、私の命も、私の親しい人の命もあるということがなかなかわからない。そして、そのことを常にこころに保ち続けることが難しいところに、人間の愚かさ、悲しさがあるのでありましょう。
今はただ、前住職の遺徳を偲びつつ、お念仏申させていただきます。
4月1日~今はただ、遺徳を偲びつつ… | 2025年04月01日【472】
3月16日~法蔵菩薩様の真似をして
春に吹く冷たい北風は春北風、別名「はるならい」ともいいます。
さて先日、鹿児島市の鹿児島別院で、篤信のご門徒Cさんとお会いしたとき、Cさんからニコニコと笑顔で、「いつもテレホン法話を聞いていますよ」と声をかけて頂きました。
Cさんは軽いごあいさつでおっしゃったのでしょうが、私は何やら少し気恥ずかしく、またうれしく、励まされた気持ちにもなりました。
仏教に「和顔愛語」という有名な言葉があります。「和顔」はやわらかな顔で人と接し、「愛語」はやさしい言葉で接することで、これは『仏説無量寿経』に出てくる言葉です。
法蔵菩薩が阿弥陀如来という仏さまになるために修行に励むところで、「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手のこころをくみ取ってよく受け入れて」という意味で出てくるのですが、きっと法蔵菩薩は、悟りを求める自身のためにも、また同時に、多くの人々を仏道に導くためにも、大切な心がけの一つとして励まれたのでありましょう。
「大きな顔」「浮かない顔」「しかめっ面」「涼しい顔」など顔の表情は様々です。
「言葉は立ち居を表す」「言葉は身の文」など、言葉の使い方も様々です。
しかし「言葉は心の使い」と言われるように、自らの日ごろの姿を省みると、言葉も顔も、自分自身のの心の有り様が自然と表れているように思います。
今月は春のお彼岸です。お彼岸とはこの娑婆の岸からお浄土の岸に至らせて頂く道をたずねる行事です。
「和顔愛語」、法蔵菩薩様の真似をして、少しずつでもお浄土への道を歩ませていただきたいものです。
お寺の裏山ではホーホケキョ。「法を聞けよ」と鶯が鳴き始めました。どうぞお彼岸法要にお参りください。
3月16日~法蔵菩薩様の真似をして | 2025年03月16日【471】