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9月1日~あなたのいのちの年輪は…
虫すだく季節ですが、暑いからでしょうか、本格的な虫の合唱がまだ聞こえません。
さて、先日テレビで屋久杉の番組を見ました。
屋久杉は、屋久島の山地に自生するスギで、そのうち樹齢一千年以上のものを屋久杉というそうですが、その中でも有名なのが一九六六年に発見された縄文杉です。
多くの登山者や観光客にその神々しい姿で、自然の偉大さや圧倒的な存在感、生命の尊さや感動を与えていますが、多くの屋久杉が伐採された中で、なぜ縄文杉だけが残ったのか。
それは当時この大杉が、どの角度から見てもまったく商品価値のない、使いようのない大木だったからだそうです。
使い物にならない、まったく価値のなかった大木が、今に至って多くの人々に感動を与え、屋久島の観光を担っているとは興味深いお話です。
テレビに映る屋久杉の美しい木目や年輪を見ながら、ふと、自分自身のいのちの年輪というものを考えました。
屋久杉は、厳しい自然環境の中で長い年月をかけて、小さな年輪を幾重にも重ねていきますが、それを人生にたとえると、その人の言動や行動、日々の歩み、生活のあり方でありましょう。
能力もなく、何をやっても完全にできない私ですが、この人生の歩みの中で、家族をはじめ縁ある方々に、何か大切なことを伝えられるような年輪を残す生活ができているかどうか。
あの屋久杉の年輪のように、できることならば日々の生活を通して、あとに残る方々が少しでも心が豊かになるような、少しでも生活の指針となるような、少しでも心の支えとなるようなものが残すことができたならば、幸せなことだと思うのです。
あなたのいのちの年輪はいかがでしょう。少し立ち止まって顧みることも大切なことかもしれません。
9月1日~あなたのいのちの年輪は… | 2025年08月31日【481】
8月16日~より良い社会を築くために
近年では、短時間で激しい雨が降る「ゲリラ豪雨」が当たり前になりつつあります。大雨の被害に遭われた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。
さて、八月のお盆休みには、多くの人が故郷へ帰省をされます。この時期には、自動車の交通量が増え、事故が多く発生します。
私は最近、自動車安全講習のDVDを見る機会がありました。その動画の中に出てきた言葉がとても印象に残っています。
「運転はこころのあり方が非常に重要であり、その中で最も注意すべきことは己への過信「驕りの心」である」というものでした。
「これまで事故を起こしたことがないから」「ここは走り慣れた道だから」「運転には自信があるから」と、そのような理由で、「私は大丈夫」と思う「驕りの心」を私たちは誰しも抱いているというのです。
動画の最後では、運転をする際には、時間に余裕をもち、自分自身の体調にも目を向けて、「私は大丈夫」ではなく、スピードを出してしまうことも、無理して運転し続けることもあるのが、この私だということを常に知っておくことが大事であることを伝えていました。
私はこの動画を見て、自動車の運転だけでなく、私の生活、生き方全般に通じるものだと思いました。
自分自身の生活を省みると、おおよそ生活が安定しているときは、すべてのことがあたりまえのように勘違いをして、慣れが生じたり、時には驕り高ぶる気持ちまででてきます。また、生活が思うようにいかない時は、他人を妬み嫉むこともあります。どこまでも煩悩から離れられず、不安定な心を私たちは抱いています。
だからこそ、何度もお聴聞を繰り返し、阿弥陀如来のみ教えに出会わせていただく中で、少しずつ囚われの心から離れ、互いを思いやることのできる、心豊かな生き方をいただくのです。
一人ひとりが、自分のこころのあり方にきちんと目を向けることができれば、ともに和やかで安心な社会が築かれていくのではないかと思うことです。
8月16日~より良い社会を築くために | 2025年08月16日【480】
8月1日~やがて一緒、いつも一緒
暑い日が続きます。昔、中国にあったという涼しさを呼ぶ珠「招涼の珠」とやらがほしい日々です。
さて、八月の仏事であるお盆は、亡くなった身近な方々を、あとに残る人々が偲ぶ日として毎年行われますが、よくよく考えると、その亡き人を偲ぶ人、つまりこの私たちもやがてその亡き人の数に入っていきます。
いやいや、私のことはまだ先のこと…。果たしてそうでしょうか。僧侶の勤めをしていますと、決してお亡くなりになる方はお年を召した方ばかりではありません。人生これからの若い人、働き盛りまっただ中の人、そして思いがけない病気や突然の事故などその原因もさまざまで、本当に人のいのちには後先順番がないことを教えられます。
そう考えますと、お盆という行事は、あとに残る方々が、亡くなった身近な方々を偲び感謝すると同時に、自分自身の死を見つめる日でもあるということです。
自分のいのちが終わるとどうなるのか。自分のいのちがどこに行くのか。自分のいのちは今どこに向かって生きているのか。お盆は、その人生の問いをたずねていく仏事でもあるのです。
そのことについて、いつも仏事でお勤めされる『仏説阿弥陀経』の中に、「倶会一処(くえいっしょ)」というお言葉があります。
私はこのお言葉を、「やがて一緒、いつも一緒」と味わっています。
やがて一緒とは、日々仏さまに手を合わせお念仏を申して生活をする人は、やがて一緒に会うことのできるお浄土がありますよということです。
いつも一緒とは、日々仏さまに手を合わせお念仏を申し、その教えをいただいて生活する人には、いつも仏さまが寄り添ってくださり、お浄土への道が常に開かれていますよと味わいます。
今年もお盆がやってきます。仏さまとなられた方々と倶会一処、やがて一緒、いつも一緒のお念仏の日暮らしをさせて頂きましょう。
8月1日~やがて一緒、いつも一緒 | 2025年08月01日【479】