覚照寺 本堂平成大修復落慶
覚照寺 創立130年
第4世住職継職慶讃 法要(Memorial)
平成19年4月28日(土)~29日(日・昭和の日)にかけて、『覚照寺本堂平成大修復落慶 覚照寺創立130年 第4世住職継職慶讃法要』が執り行われました。両日とも春の好天に恵まれ、多くの参拝者のもと、厳粛にまたにぎにぎしく行われました。二日間の模様をお伝えいたします。
慶讃法要の趣旨
法要スローガン ~仰いで感謝 迎えて躍進~
覚照寺は、岐阜県覚王寺出身、本願寺教師補で、薩摩念仏禁制の中での伝道経験を持つ平島義山師が、明治11年7月7日大谷光尊門主(本願寺第21代明如宗主)より鹿児島開教を命ぜられ、薩摩各地を伝道の後、信者の強い要望により明治13年2月岩川に説教所を創設、同17年5月2日、開基住職として「放光山 覚照寺」と公称したことに始まります。
それより、仏さまのみ教えが人々の心にしみこむにつれ門徒は増加し、昭和4年から6年にかけて現在の地に現本堂が建立されました。その本堂は、大隅岩川の信仰・聞法の道場として務めを果たしてきましたが、同時に第二次世界大戦中は飛行場勤労奉仕者隊の宿舎並びに陸軍の兵舎となり、終戦当時は小学校の分教場になりました。また、終戦一週間前には米軍の機銃掃射約数百発を受け大火の危機に遭い、さらに幾多の台風やシロアリ被害によって老朽化も危惧されていました。
しかしこの度、現門徒方の熱意と懇念、また卓越した技術者によって74年ぶりに大修復を行い、平成17年7月に見事完成いたしました。折しも今、覚照寺が建つ大隅の地は次第に変化しつつあります。高齢化が進むと共に、都会から流れ入る合理化・経済優先の思考は、人々の純粋な感謝(おかげさま・もったいない)の心や、仏さまへの報恩の心を希薄にしていきます。
今こそ、お念仏をいただく人々が共に手を取り合い、心豊かな人々の育成と和やかな地域社会づくりが求められており、その心の拠り所となるのが無量寿無量光の阿弥陀如来まします本堂であります。
仰いで感謝 迎えて躍進。この度のご法要は、本堂大修復を終えたことを共々に慶び、一人ひとりがあらためて、報恩感謝のお念仏こそが私の心の拠り所と確認するためのものであります。さらに覚照寺創立百三十年並びに第四世住職継職を仏前に奉告し、広く有縁の方々と共に、新たなる覚照寺の門出を祝福し厳修いたします。
覚照寺本堂平成大修復落慶
覚照寺創立130年・第4世住職継職
慶讃法要の日程
第1日目 4月28日(土)
第2日目 4月29日(日・昭和の日)
第1日目法要
覚照寺本堂 平成大修復事業の報告とごあいさつ
覚照寺第3世住職 平島典雄
この度の「覚照寺本堂平成大修復」につきましては、ご門徒の皆さまの全面的ご協力により、本堂内外新築同様に竣工いたしましたこと、誠に有り難く感謝申し上げます。
かえりみますと、覚照寺の本堂は、昭和4年より6年にかけて総工費一金41,386円で完成しており、工事にあたってはご門徒による基礎の地突き、また柱・板一枚に至るまで蝋(ロウ)磨きをして下さり、ご門徒の信仰心と汗の結晶ともいうべき本堂であり、以来70数年の年月を経て参りました。
その間、第二次世界大戦の時は八合原飛行場工事の作業員の宿舎にあてられ、飛行場が完成すると軍隊が駐留し、昭和20年の終戦時には軍隊が岩川小学校に移り、その折には本堂が小学5・6年生の教室として利用されました。また8月上旬には米機グラマンの機銃掃射を受け、終戦で私が帰寺した時はまるで蜂の巣のように穴があり、392枚の瓦が破損いたしました。
その後、現在のような公民館等集会場がなく、宗教行事のほか、公共の諸行事や会合の場として使用されました。
しかしながら、80年近く風雨に耐えてきた現本堂も、白蟻の被害や機銃掃射による屋根の損傷、木材の老朽化が進み雨漏り、そして正面の屋根が下がり外観からも段差の波ができておりました。
かかる状況の折、山口県の寺院専門の宮大工「オギ建設」および専門の設計士に調査して頂きましたところ、覚照寺本堂は美術的にもすばらしく美しい本堂で、九州内においても立派で、現在同等のものを建築するならば4億円以上との見積でありました。構造上の現状は、天井より下部の柱、また基礎等は強固で歪み等全く生じてないが、天井及び屋根が、機銃掃射および白蟻被害、木材の老朽化によって下がり、なるべく早く大修復をせねば、大地震でもあれば屋根瓦の重みで落下する恐れがあるとのことでした。
そこで平成14年11月9日の集落代表者による定期総会において、大修復についての事由を説明申し上げたところ、大事業の故、全門徒に大修復の趣意書を配布し、全門徒の同意を得るべきであると議決されました。
早速、平成14年11月11日付で、写真入りの「覚照寺平成大修復趣意書」を全門徒に配布いたし、翌年平成15年2月26日集落代表者による臨時総会を開催し、ご門徒のご意向を発表して頂き、全門徒賛同のもと「覚照寺本堂平成大修復」の実施が議決されました。
業者については、九州内各業者の申込みがありましたが、すでに鹿児島県出水市・西報寺、また頴娃町・浄念寺様建立の実績のある寺院専門の宮大工・山口県「オギ建設」、木材は下関市「西谷木材」、瓦は寺院瓦葺き一級技能士・水俣市「屋根興」、付帯工事は地元の「渡辺組」、総設計及び監督に鹿児島市「国師設計事務所」、仏具修復は「森永仏光堂」様方に依頼することになりました。
まず大修復の木材について、横十間、縦十三間半ある本堂の大きな木材をそろえるのに、国内では非常に困難で高価になるため、西谷木材の紹介で副住職、オギ氏、国師設計士が外地に行き、直接見て調査して、幸いに樹齢千年もの無節で最高級のカナダヒバ(破風・垂木)、およびアフリカ赤木欅(正面玄関四本柱並びに正面入口の床板等)を入手することができ、平成16年10月に工事に着工しました。
瓦は特別注文の西本願寺紋入りの淡路の最高級いぶし銀で、殊に正面最上部の大棟は西本願寺金門を中央に、右側が空から舞い降りる龍、左側が海面から空に舞い上がる龍・阿吽(あうん)の龍の彫刻が施してあり、南九州では大変珍しいものです。
また、両側破風には、西本願寺を施工した金具職人の手による美しい破風飾りが施され、業者・職人の卓越した技術により寺院として荘厳かつ美術的な本堂となりました。
そして、冷暖房の空調設備、身障者用の電動昇降機も設置いたしました。
耐震については、建築力学専門の設計士に依頼調査をいたし、天井裏に縦20センチ、長さ10メートル「コ」の字型の鉄骨を南北に6本通して補強をいたし、地震に強い本堂になりました。
以上、大修復工事の経緯・内容について記しましたが、工事費については予定外の修復箇所もあり、総工事費1億7千万円となりましたが、業者への支払等もすべて無事完了いたしました。大修復の決算は、秋の総会でご報告申し上げます。
以上ご報告を申し上げ、ここにあらためて大修復事業に全面的にご協力賜りましたことを、厚く御礼申し上げます。
第1日目法要表白
敬って、大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます。
本日ここに、覚照寺本堂平成大修復落慶 覚照寺創立百三十年 第四世住職継職 慶讃法要をお勤めするにあたり、恭しく仏前を荘厳し、懇ろに経典を読誦して、当山門信徒並びに鹿児島教区東隅組、また有縁の法中方臨席のもとに、ご奉告を申し述べます。
顧みますれば、当山覚照寺の現本堂は、今から約八十年前、住職・門信徒一同の念願結実して、当地に建立されましたが、長年の風雨や木材の老朽化、さらに戦時中にあびた機銃掃射の損傷もあって、その修復は住職・門信徒の念願でありました。
この度幸いにも、その宿願が実を結び、横十間、縦十三間半の本堂が修復され、その落慶の慶讃法要を、お勤めさせていただくことになりました。これもひとえに、仏祖のご加護はもとより、当山に浄土真宗の法灯が掲げられてより百三十年の間、歴代の住職・坊守、有縁のご門徒方の努力の賜と、深く感謝申し上げます。
今、この法要を迎えるにあたり、覚照寺に縁あるすべての人々が、ともに落慶を喜び、ともにそのご遺徳を偲びつつ、報恩のお念仏申すことであります。
この上は、新たなる大屋根の甍、いよいよ朝な夕なに光を放って、大隅の地を照らし、法縁は広く世の中に及んで人々を導き、いつまでもいつまでも如来のみ法が伝えられますよう、念じ上げます。
仏祖のご恩、有縁の方々のご恩を仰いで感謝いたし、この度の法要を迎えて、さらなる覚照寺の躍進に精進することをお誓いいたします。
平成十九年四月二十八日、
放光山 覚照寺
第三世住職 釈典雄
謹んで申し上げます。
記念法話ご講師の紹介
吉川 孝臣 先生
東広島市南泉寺住職
昭和34年本願寺に奉職。以来札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、神戸、福岡、鹿児島、帯広、函館、山科等、全国の別院輪番・教務所長を歴任。
また京都・西本願寺では基幹運動本部局長。その他、相愛学園理事、佐賀龍谷学園理事長、学園長を務め、現在、前大谷光照ご門主様の雅号を戴く新門様名誉総裁の本願寺「紫水会」の顧問。
第2日目法要
Kakushoji コール ピュア サンガコーラス
- BELIEVE
- みほとけのほほえみに
- 青い山脈
- 春の小川
- 朧月夜(おぼろづきよ)
- いのちまいにちあたらしい
- ほほえみとともに
第2日目法要表白
敬って、大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます。
本日ここに、覚照寺本堂平成大修復落慶 覚照寺創立百三十年 そして、浄土真宗末学 釈義仁 当放光山 覚照寺 第四世住職継職の奉告慶讃法要をお勤めするにあたり、恭しく仏前を荘厳し、懇ろに経典を読誦して、当山門信徒並びに有縁の法中方臨席のもとに、仏祖の御前に、住職継職の決意を申し述べます。
顧みますれば、当山に浄土真宗の法灯が掲げられてより百三十年の間、歴代の住職は宗祖親鸞聖人の教えを仰いで、怠ることなく人々にそれを弘め、門徒同行も聴聞に励み、共に協力してご法義並びに寺院の相続と繁盛に努めてきました。
これもひとえに、日夜休むことなく「常にわが浄土へ心を向けよ」と呼びたもう、阿弥陀如来の御はたらきのお陰であります。
阿弥陀如来は、すべての人を分けへだてなく、必ず救う本願の名号を成就して、釈迦如来この世に生まれたるは、その教えを説かんがためと、一命をもって人々にお勧めになりました。
その尊きみ教えは、長き歴史と道のり、そして七人の高僧方を経て、宗祖親鸞聖人に受け継がれ、よって浄土真宗を顕かにされました。
今ここに、第三世典雄住職より法灯を譲り受けた釈義仁、その流れをくむとはいえども、はなはだ浅学非才にして、力は十分ではありませんが、仏祖の冥加を受けて、歴代住職の足跡をたどり、門信徒方のご助力を得て、み法の灯を絶やさぬように、ひたすら精進いたし、自信教人信の歩みを重ねることを、
平成十九年四月二十九日
放光山 覚照寺
第四世住職 釈義仁
謹んで申し上げます。
住職就任のごあいさつ
覚照寺第4世住職 平島 義仁
本願寺の宗務を終え覚照寺に帰り8年、この度覚照寺住職を継ぐことになりました。
覚照寺は、開基住職が岩川に説教所を開設して以来百三十年の歴史を歩んできました。
開基住職は田舎道を馬でお参りに行ったと聞きます。第二世住職は自転車をこいで、第三世住職は自転車とバイクでお参りに出向いたといいます。いずれにせよ道路の整備されていない時代、大変な苦労があったことが伺われます。
それは、先輩ご門徒方も同様です。昭和初期に現本堂を建立、幼い子どもから大人まで、皆が一丸となって地突きや木材の蝋磨きに携わったと聞きます。戦中戦後、物の不足した時代にありながらもお寺の護持発展にご努力いただき、その思いは現門徒方に引き継がれ、この度、本堂平成大修復という大事業をも完遂下さいました。
多くのご門徒方の懇念に支えられ、また代々の住職・坊守が努力して、大隅岩川の地にお念仏のみ教えを伝える営みが続けられてきました。覚照寺の第四世住職として、その歩みを引き継ぐことになりましたことを大変嬉しく、また責任の重さを感じます。
- 今ここに、その人いまさずは、私の参る寺はない。
- 今ここに、その人いまさずは、手を合わす私はない。
- 今ここに、その人いまさずは、経を唱える私はない。
- 今ここに、その人いまさずは、教えを聞く私はない。
- 今ここに、その人いまさずは、私に後生の道はない。
- あぁその人よ、偉大なるその人よ、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
今年1月末から2月初旬にかけて、インド・お釈迦さまの仏跡参拝の旅行に覚照寺のご門徒8名の方々とともに参りました。10年ぶり4回目の聖地参拝でしたが、住職を継ぐその年に、あらためて仏教の原点にお参りできましたことを有り難く思いました。
上記の拙い詩は1月31日の明け方、お釈迦さま誕生の地、ネパール・ルンビニーで詠んだものです。「その人」とは、"いつの世でも、いかなる苦しみ悲しみがあろうともわけへだてなく必ず救う"と誓われた阿弥陀如来のご本願を、私たちに説き示された仏教の開祖・お釈迦さまのことです。
覚照寺にご縁のある方々が、その阿弥陀如来の大いなる願いの中に生かされ、一人でも多くの人がお念仏をよろこぶ身となっていただきますよう、佳子新坊守とともに精進してまいります。
これからも、覚照寺が立派に護持されますように、ご門徒の皆さまのご理解とご協力を切にお願いしまして、住職就任のごあいさつといたします。
御礼のことば
覚照寺前住職 平島 典雄
京都の学校を卒業し帰寺したのは昭和26年3月でした。
それより今まで56年の間、昭和33年より36年の3年間、鹿児島西本願寺に教化指導主事として婦人青少年部門を担当、また鹿児島刑務所の教誨師及び篤志面接員として勤務いたしました。
昭和41年3月に第2世前住職が鹿児島市の病院で急逝した時、私はある小学校で講演中で、終了の後2時間かけて駆けつけましたが臨終には間に合いませんでした。その後、住職となって今年で41年になりました。
その間、ご門徒の皆さまには、御仏に仕える身とは言いながら、浅才非才の至らぬ住職の私を、常に協力的かつあたたかく接していただき今日に至りました。心より厚く感謝申し上げます。
第2次世界大戦後の数十年、非常に時代の変遷めざましく、ご門徒宅へ法事に出向くのにも自転車から単車そして自動車となり、道路も砂利道から立派な舗装道路になりました。
ふり返りますと、土葬のころは、時には友引の日のお葬式は夜10時から始まり夜中12時が過ぎて出棺されることもあり、夜の真っ暗な山道を自転車を押して帰ったことも度々ありました。
また八合原大地も現在はすばらしい街になりましたが、終戦時は広い畑が広がり、夜は真っ暗で方向を間違ったこともありました。冬の早い夕暮れ、法事の帰り道に農道から県道に出て、岩川方面への坂道を下るのに、いつもは見えるはずの岩川の町の灯が見えないと思いつつ、たどり着いたところは市柴の石橋だったこともありました。今となればとても懐かしい思い出です。
現在まで、ご門徒また地域住民の方々のご要望により偲恩堂建立、保育園並びに幼稚園の設立・全面改築等をしてまいりました。昭和53年の秋には、現本願寺第24代大谷光真御門主様をお迎えして御親修法要を厳修し、800名ものご門徒が帰敬式を拝受されました。また、平成4年の本堂御内陣の全面修復荘厳、そしてこの度の本堂平成大修復が最も心に残る大事業でありました。
これもひとえに仏組の御加護はもちろん、ご門徒の皆さま方の心からなるご援助ご協力のたまものと、深く感謝申し上げる次第であります。
高齢のため、この度住職を第4世義仁に引き継ぐことになりましたが、体の健康な限り、これまでと変わらず法務・教化伝道に勤しむつもりであります。
なお、私にたまわりましたと同様に、第4世義仁住職にご支援ご援助を賜りますよう、心よりお願い申し上げ、御礼の言葉といたします。
合掌
一緒に「正信偈」をお勤めしました。
村永・本願寺総務より第3世住職・坊守へ感謝状が渡されました。
村永・本願寺総務より第4世住職・坊守へ住職就任の「お祝いのことば」が届けられました。
渡邊門徒総代会長より、第3世住職・坊守へ感謝の記念品が渡されました。
クリックで拡大します。
典雄前御住職・令子坊守様へ御礼の言葉
覚照寺総代会長 渡邉 義則
本日ここに本堂平成大修復落慶、創立130年、第4世住職継職慶讃法要をお迎えしましたが、老朽化が危惧されていた本堂が、ご門徒一人ひとりの尊いご懇念によって、また工事関係者のすばらしい技術によって見違えるように立派になりましたこと、誠に有り難くうれしく思うことであります。
また、この大修復落慶のご法要を機に、第三世典雄御住職並びに令子坊守様から、第四世義仁御住職並びに佳子新坊守様に法灯が譲られ、覚照寺が新たなる伝道教化の旅立ちをいたしますことは、私ども門徒にとってこの上ない慶びとするところであります。
典雄先生は、昭和3年に岩川の地にお生まれになり、都城中学校、京都龍谷大学と進まれ、ご卒業後、覚照保育園副園長、西本願寺鹿児島別院教科指導主事、鹿児島刑務所教誨師及び篤志面接委員を務められました。
昭和41年、第2世御住職義雄先生の突然の御往生に伴い、第3世住職並びに覚照保育園園長に就任。旧大隅町においても社会教育委員や民生委員推薦委員、保護司等をお務めになりました。
昭和46年には、保育園に就園できない子どもが多い大隅町の現状に鑑み、町長の要請を受けて学校法人愛光学園 大隅中央幼稚園を設立し理事長に就任され、覚照保育園の両施設で、令子坊守様とともに多くの子どもたちの福祉と育成に勤しまれました。
さらに、鹿児島県社会福祉協議会評議員や県保育協議会副会長等も務め、それらの功績が認められ、昭和63年に全国保育協議会会長表彰、平成2年鹿児島県知事表彰、同11年厚生大臣表彰、同16年には瑞宝双光章受賞の栄誉をお受けになりました。
先生は、「ご門徒がいつも気持ちよくお参りができるお寺に…」と、覚照寺の本堂をはじめとする施設管理には特に心を配られました。そして、「何事にも精いっぱい心を尽くして…」と、私ども門徒に接して下さいました。また令子坊守様はお寺の仕事と保育園両面に努力され、多くの仏の子どもたちをお育て下さり、その功績に対して、平成14年には勲六等宝冠章を受賞されました。
これまで、先生と前坊守様が手を携えて、私たちをお念仏の道へとお導きいただきましたことに、心から感謝と御礼を申し上げます。
住職・坊守のお勤めは、義仁先生、佳子様に引き継がれることになりますが、まだまだお元気であられますので、これからも私たち門徒をお育て下さったり、前御住職・坊守として覚照寺発展のためにご教導下さいますことをお願いしまして、門徒代表の御礼の言葉といたします。
出勤法中一覧
ご来賓 | 鹿児島別院輪番 鹿児島教区教務所長 |
中山知見 |
---|---|---|
随員 | 藤千秋 | |
導師 | 覚照寺第3世住職 | 平島典雄 |
東隅組(旧曽於郡内) ご寺院様 |
||
ご出勤 | 輪光寺 | 山内大宣 |
願成寺 | 藤本高明 | |
西光寺 | 藤井龍道 | |
心光寺 | 前原公 | |
金剛寺 | 暉峻康瑞 | |
大蔵寺 | 熊田興正 | |
恒覚寺 | 岩野宏昭 | |
浄満寺 | 白坂隆伺 | |
正覚寺 | 藤英達 | |
南光寺 | 浜上正信 | |
蓮成寺 | 岩野英昭 | |
専徳寺 | 白鳥浄之 | |
正心寺 | 島見教信 | |
光明寺 | 遠藤秀巒 | |
覚照寺第4世住職 | 平島義仁 | |
楽人 | 光雲寺 | 佐藤一洋 |
摂光寺 | 松元正顕 | |
大光寺 | 瀧義道 | |
和岡出張所 | 暉峻康朗 | |
大圓寺 | 三島慶昭 | |
浄福寺 | 藤園智信 | |
別院教務所 | 福嶋達也 | |
龍泉寺 | 苅屋淳慶 | |
皆与志出張所 | 仙石教信 | |
会奉行 | 浄満寺 | 白坂浩史 |
輪光寺 | 山内義宣 | |
会係 | 覚照寺 | 疋田辰己 |
ご来賓 | 本願寺総務 | 村永行善 |
---|---|---|
導師 | 覚照寺第3世住職 | 平島典雄 |
覚照寺第4世住職 | 平島義仁 | |
法友・親類ご寺院様 | ||
ご出勤 | 光雲寺 | 佐藤洸洋 |
浄念寺 | 宮地最勝 | |
乗船寺 | 藤岡義道 | |
明信寺 | 賞雅淳亮 | |
西報寺 | 笠置信行 | |
光栄寺 | 佐藤隆文 | |
大圓寺 | 三島慶昭 | |
本龍寺 | 岡野龍信 | |
願生寺 | 佐々木哲生 | |
光明寺 | 遠藤秀巒 | |
盈泉寺 | 佐藤常昭 | |
正覚寺 | 安静禎邦 | |
楽人 | 摂光寺 | 松元正顕 |
大光寺 | 瀧義道 | |
城西出張所 | 高岡宏信 | |
別院法式部 | 赤星隆章 | |
浄福寺 | 藤園智信 | |
別院教務所 | 工藤哲修 | |
輪光寺 | 山内大宣 | |
南光寺 | 浜上正信 | |
正心寺 | 島見教信 | |
会奉行 | 浄満寺 | 白坂浩史 |
輪光寺 | 山内義宣 | |
会係 | 覚照寺 | 疋田辰己 |
(順不同敬称略)
全出勤法中・スタッフ記念写真
4月29日出勤の法友・親戚法中方。
若婦人コールピュアサンガ、覚照寺門徒役員。
4月28日出勤の東隅組寺院法中方。
慶讃法要実行委員・オールスタッフ。
5月11日の『南日本新聞』で紹介されました。
クリックで拡大します。
覚照寺門徒代表役員・法要実行委員
平島典雄 | 第3世住職(法要委員長) | 令子 第3世坊守 |
平島義仁 | 第4世住職(副法要委員長) | 佳子 第4世坊守 |
渡邉義則 | 門徒代表役員 | (実行委員長) |
牧之瀬俊治 | 〃 | (副実行委員長) |
隈元一農 | 〃 | |
福田香 | 〃 | |
吉峯魁 | 〃 | |
西田弘 | 〃 | |
肝付利治 | 〃 | |
上門實次 | 〃 | |
有薗和雄 | 〃 | |
藤田和雄 | 〃 | |
渡邉哲夫 | 〃 | |
渡辺秀雄 | 〃 | |
栫井勲 | 〃 | |
中禮覚 | 〃 | |
八木敬次 | 〃 | |
酒匂安夫 | 〃 | |
吉村實雄 | 〃 | |
竹下良幸 | 〃 | |
森山正弘 | 〃 | |
岩崎俊吉 | 仏教壮年役員 | (副実行委員長) |
牧之瀬政治 | 〃 | |
片平左幸 | 〃 | |
蛇穴嘉兵衛 | 〃 | |
池田満 | 〃 | |
津曲芳夫 | 〃 | |
手嶋野隆一 | 〃 | |
榊原修 | 〃 | |
野田博昭 | 〃 | |
中禮美代子 | 女性の会役員 | (副実行委員長) |
向田静子 | 〃 | |
尾中マリ子 | 〃 | |
川崎綾子 | 〃 | |
植村邦子 | 〃 | |
深港光子 | 〃 | |
黒木美智子 | 〃 | |
山口治子 | 〃 | |
田中啓子 | 〃 | |
渡邉ミホ | 〃 | |
岩崎トシ子 | 〃 | |
坂元エイ子 | 〃 | |
中禮美由紀 | 若婦人代表 | |
鳥丸弘子 | 〃 | |
池井和昭 | 保育園保護者代表 | |
松尾英彦 | 〃 | |
今田正彦 | 〃 | |
吉田和博 | 幼稚園親代表 | |
迫田一彦 | 〃 | |
疋田辰己 | 覚照寺職員 | |
溝上律子 | 幼稚園職員代表 | |
大野ひとみ | 保育園職員代表 | |
中村麻里 | 幼・保職員 | |
福岡美和 | 〃 | |
山下沙織 | 〃 | |
川嶋弥生 | 〃 | |
平島由華里 | 〃 | |
高松悦恵 | 〃 | |
馬場晴美 | 〃 | |
大保綾 | 〃 | |
加塩美香 | 〃 | |
西郷ゆかり | 〃 | |
白坂美有希 | 〃 | |
今永早希 | 〃 | |
内村沙織 | 〃 | |
東江由香 | 〃 | |
飯島亜紀子 | 〃 | |
桑幡さとみ | 〃 | |
野田千津子 | 〃 | |
山口美智子 | 〃 | |
富吉かおる | 〃 | |
國料恵美子 | 〃 |
この度の慶讃法要には、ご来賓様、ご出勤法中様方にはご多忙の中、また遠近各地より来臨賜り誠に有り難うございました。また、覚照寺実行委員の皆さまにはご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。ご芳名には十分注意いたしましたが、万一、字の誤り等がございましたらお許し下さい。
【写真協力:澤写真館】