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10月1日~中秋の名月愛でながら…
お彼岸が過ぎたというのに、日中はまだまだ暑い日が続いています。
さて、九月二十九日は中秋の名月で、丸くて美しく輝くお月さまをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
中秋の名月とは毎年まん丸のお月さまだと思っていましたら、そうではないそうで、今年が中秋の名月と完全なまん丸のお月さまが重なる年だそうで、次に重なるのは七年後の二〇三〇年九月十二日だそうです。世の中には知らないことがホントにたくさんあります。
美しいまん丸のお月さまを愛でていましたら、ふと、ある歌を思い出しました。
「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助ける」
これはとんちで有名な一休さんの歌で、本願寺の第八代のご門主・蓮如上人に歌で阿弥陀さまについて問うたものです。
阿弥陀さまは、慈悲の心で、いのちあるすべてのものを無条件で、わけへだてなく救うと説かれているけどホントなの。助けてください、救ってくださいと、たのむ人だけ救って、他の人には見向きもしないのじゃないのと問いかけているのです。
その問いかけに、蓮如さんは歌で応えています。
「阿弥陀には へだつる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ」
いいえ一休さん、阿弥陀さまのお救いには、わけへだては一切ありませんよ。でも一休さんどうでしょう。夜空に美しい月が輝いて、それが水をためた桶にそのまんま美しく映るときがありますが、桶に蓋がしてあれば、お月さまがどれほど輝いてもどれほど美しくても月は映ることはありません。
阿弥陀さまは、いつも私たちをまことに道に導こうと心配し通し案じ通しの仏さま。でも、私の心に蓋があれば届くものも届きません。映るものも映りません。それと同じことですよ。
あなたの心に蓋はありませんか。きれいな阿弥陀のお月さまが映っているでしょうか。
10月1日~中秋の名月愛でながら… | 2023年10月01日【437】
9月16日~知らず知らずのうちに…
親竹が新芽を伸ばし、若葉を茂らせるこの季節を「竹春」とか「竹の春」といいます。
さて、健康のために毎朝四時半くらいから一時間ほどジョギングをするようにしていますが、最近は夜明けがめっきり遅くなり、この時間帯はまだ真っ暗です。
近くの公園の広い駐車場を走るのですが、走っているうちに自分自身のある特徴に気づきます。
とても広い駐車場を、端から端まで行ったり来たりするのですが、私がまっすぐに走ろうと思っても、目指す方向に大きな木や標識、あるいは地面に引いた白線など、何かの目印がないとなかなかまっすぐには走れません。
また、目印を目標にして走っていても、、夜空の星に少し目を向けるだけで、すぐに曲がって走ってしまいます。
また、まっすぐに走っているつもりでも、何か考え事をした少しの間に、知らず知らずのうちに曲がって走っています。
広い土地をまっすぐに走るには、目標をまっすぐ見すえて、脇目をせずに、集中して走らなければ難しいですし、さらに、周囲がしっかりと確認できる光がないと難しいことに気づかされます。
人間の体もそうかもしれませんが、心や考え方も同様かもしれません。
自分は正しい、間違いがない、自分の考え方は確かだと思って生活をしていても、知らず知らずのうちに、その心は独りよがりになり、さまざまな情報や影響を受けて、その考え方は大きく曲がっているのかもしれません。
人間の体も心も考え方も、正しい指標、まことの教えを持ち、さらに、物事を正しく確認できる光がなければ、まっすぐに、正しく進むことができません。
九月は秋の彼岸の季節です。日ごろの忙しい手を少し休めて、仏さまの教えに耳を傾けて、自分自身の普段の生き方を省みることはとても大切なことです。
どうぞ、お寺にお参りください。
9月16日~知らず知らずのうちに… | 2023年09月17日【436】
9月1日~自分を創る責任者
九月に入り、いつの間にかセミの声が虫の声に変わりました。
さて、最近お葬儀にお参りに行くときに、そのお亡くなりになったお方が過ごされた日数を数えていくことにしています。
通常そのお方が生きた年数を享年としますが、日数で示すと人生に対する味わいが、少しまた違うような気がするからです。
例えば、誕生日とご命日がたまたま同じ日になったと仮定して、享年七十歳の方は25,202日。享年八十歳の方は28,854日。享年九十歳の方は32,507日となります。
今七十歳の方が、私はあと十年くらいは生きるだろうと思っていても、日数で見るとあと3,652日しかありません。
一年365日はあっという間に過ぎてしまいますから、それが十回過ぎたらお別れです。
人生時計という見方もあります。十二時間計を、人生が八十年と仮定して、五十歳の人は37分30秒、六十歳は45分、七十歳は52分30秒となります。
こういう私も還暦はとうに過ぎましたので、残りはあと十数分しかありませんし、さらに大切なことは、命の問題はいつどのようなときに、どのような終焉が来るかわからないということです。
お寺の住職で、教育者としても大変高名だった東井義雄先生は、「自分は自分の主人公、世界でただひとりの自分を創っていく責任者」と言われました。
人生は一日一日の積み重ねです。自分を創っていく責任者としてあと残された一日一日ををどのように過ごしましょうか。そして、いつか近い将来に来る自分の終焉にそなえて、自分はどこに向かうか、はっきりと答えることができるでしょうか。
日ごろの忙しい手を少し休めて、そのことを見つめるのがお彼岸で大切ことです。どんなに年を取っても年に二回、この行事が必ずやってくるのはとても有り難いことです。
9月1日~自分を創る責任者 | 2023年09月02日【435】