12月16日~一番言ってほしくない部分
今年もはや大掃除の時期となりました。
さて毎年、健康で生活できるために健康診断を受けていますが、もしも検査を受けて、数値が高かったり、何か臓器に影が写ったりすると、再検査の案内があり、大きな病院を紹介されて精密検査を受けることになります。
そんなとき、私も含めて、おおよそ皆の口から出るのは、「やばい、検査に引っかかってしまった」という言葉です。
今までの生活に支障が出るかも、仕事にも影響が出るかも、様々なことを考えてしまいますから、当然かもしれません。
しかしよく考えてみると、その検査は私を悪い方向へ引き釣りこもうとしたり、おとしめようとしているわけではありません。
私の体の悪いところを見つけるための検査ですから、悪いところが見つかったならば、「よかった、悪いところを見つけてくださって、教えてくださってありがとう。感謝します」というのが本来かもしれませんが、なかなかそのような言葉はこの口から出てきません。
自分自身の期待する状況と異なる状況になったから、それに対する不満や憤り、落胆や不安があるからでありましょう。
お寺でのお聴聞も同様のことが言えるかもしれません。仏さまの教えを聞くと、怒り腹立ちねたみが途絶えることのない私とか、罪深い悪人の私とか、自分自身の心の中や行いの、一番言ってほしくない部分を指摘されるようであります。
「人の噂話は嘘でもおもしろいが、自分の噂話は本当でも腹が立つ」という言葉がありますが、自分自身の心の奥底や行動を指摘されることは気持ちのいいものではありません。
でも、健康診断は体の悪いところを作っているわけではありません。体のここが悪いから早く直せという催促です。
お寺でのお聴聞も仏さまからのお救いのご催促です。
2024年12月14日【465】