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5月1日~人として大切にしたいもの

 風薫るさわやかな季節になりました。

 さて、昨今、多くの親族が集まって行うご法事というものが、次第に減りつつあるように感じます。

 ここ数年続いた新型コロナの影響も大きいでしょうが、別の原因の一つとして、考えられるのが核家族でありましょう。

 親子二世代、三世代が、共に生活をする家庭は今や珍しくなりました。またそのことは、家の形にも影響を与え、身近なところでも洋風の家が多くなり、それと同時に、仏間として活用されてきた和室が家庭から消えつつあります。

 仏間という場所は、日々の生活において、仏様へ報恩感謝の思いを伝えるために必要不可々な場でありました。朝夕のお参りはもとより、頂き物をしたらまず仏様にお供えしてからいただく、家族間での大切なお話は仏間で身を正して聞くなど、そこには仏様を中心にした家庭生活がありました。

 しかしながら、家族形態や家の形の変化につれて、共に暮らすことで親から子へ、子から孫へと自然と受け継がれてきた、人として大切にしたい事柄が、今や伝わりづらくなっています。先に述べたご法事もその一つでありましょう。

 私たち人間は、自分の身に何かが起きなければ、普段の生活の有難さには気が付かない生き物です。大切な方を失ったときや、病を患ったときに初めて、当たり前の生活かそうではなかったことに気づかされます。
 
 仏様に手を合わせるとは、私たちの日常の生き方を見つめ直す、尊い時間であります。またご法事は、ご先祖の命日を通して、仏様のみ教えを聴かせていただく大切な時間であります。

 家族形態や家の形が変わろうとも、縁ある方々が集まって仏様へ手を合わせるご縁を大切にしたいものです

5月1日~人として大切にしたいもの2024年05月01日【451】

4月16日~代えることができない存在

 春のうららかな日には、やはり「長閑やか」という言葉が似合います。

 さて、仏教の根本は、この世の一切のものは因と縁で成り立っているという縁起の教えです。

 人間の存在も、自然界も、宇宙も、すべてのものには、必ずそれを生んだ原因である「因」と、それに関係する条件である「縁」とがあり、それらの結果である「果」が、複雑に関係しあい影響しあい変化しながら、もちつもたれつの状態を作りながら存在しているという仏教の根本思想です。

 因と縁と果、つまり原因と条件と結果が数限りなく関係し合うのですから、その組み合わせにも数限りがありません。

 私がこの世に誕生したのは、両親が因となりますが、同じ両親を因とする私の兄姉は私ではありませんし、私と同じでもありません。それは縁となる条件が異なるからです。

 国連によると、世界人口は二〇二四年一月一日時点で、八〇億八二〇七万九〇〇人だそうですが、私という存在はその中で唯一、私一人であり、人口がこれからいくら増えても私以外に、私は存在しません。 

 クローン技術が発達しもう一人私と同じ人間を作ったとしても、それは遺伝子が一緒と言うだけで、生まれた因も、縁も、時期や環境も異なり、この私ではありません。

 人間だけではありません。私の生活を支えるすべてのものは、世間巷に数多く生産され、数ある中の一つが縁あって私のところに来て、今の今、私の生活を支えてくれる大切な存在です。

 そのように一つ一つの因と縁と果を省みると、私自身も、私以外の人も、品物も、すべての存在が愛おしく、他のものと代えることができない存在として味わえます。

一つ一つがかけがえのない存在。その大切さを教えてくださるのが仏法であります。

4月16日~代えることができない存在2024年04月16日【450】

4月1日~断捨離…断じて 捨てない 離さない

 うららかな花日和の毎日です。

 さて、テレビ番組で、『開運なんでも鑑定団』という番組があります。

 一般視聴者が集めたお宝を専門家が評価する番組ですが、お宝と言えるものなど持ち得ない私は、いつも「へ~」と、口を開けながら興味深く観ています。

 先般その番組で、マンガの神様と言われる手塚治虫さんのキャラクターを四十五年間、集めている男性が出演していました。

 ご自身お一人で展覧会を開くほどの収集家で、その方がおもしろいことをおっしゃっていました。

 最近、人生の終わりのためのさまざまな準備を行う「終活」ということが言われますが、「私にとっての終活は、終わりなき活動です」。

 また、物への執着心をなくし処分して、身軽で快適な生活を考える「断捨離」ということを聞きますが、「私にとっての断捨離は、断じて、捨てない、離さないことです」とおっしゃいました。

 その言葉を聞いて、私にとっての終活、「終わりなき活動」とは何かを思いました。

 もちろん人生の終わりに向かっての準備も大切ですが、私にとっての終わりなき活動は、仏法聴聞でありましょう。老病死をかかえた自分自身がどのような最後を迎えるのか、そしてその時まで、どのようにこの人生を過ごさせていただくのか、仏さまのみ教えに問いたずねていくことです。

 私にとっての断捨離、「断じて、捨てない、離さない」ものとは何でしょうか。

 もちろん身の回りを整理して快適な生活をすることは大切ですが、断じて捨てない、離さないものは、南無阿弥陀仏のお念仏です。

 といっても、私が捨てないのではありません。私が離さないのではありません。阿弥陀さまがこの私を捨てないのです。離さないのです。

 南無阿弥陀仏…阿弥陀さまが私を断じて捨てない、離さない。有り難いことです。

4月1日~断捨離…断じて 捨てない 離さない2024年03月29日【449】

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