4月16日~代えることができない存在
春のうららかな日には、やはり「長閑やか」という言葉が似合います。
さて、仏教の根本は、この世の一切のものは因と縁で成り立っているという縁起の教えです。
人間の存在も、自然界も、宇宙も、すべてのものには、必ずそれを生んだ原因である「因」と、それに関係する条件である「縁」とがあり、それらの結果である「果」が、複雑に関係しあい影響しあい変化しながら、もちつもたれつの状態を作りながら存在しているという仏教の根本思想です。
因と縁と果、つまり原因と条件と結果が数限りなく関係し合うのですから、その組み合わせにも数限りがありません。
私がこの世に誕生したのは、両親が因となりますが、同じ両親を因とする私の兄姉は私ではありませんし、私と同じでもありません。それは縁となる条件が異なるからです。
国連によると、世界人口は二〇二四年一月一日時点で、八〇億八二〇七万九〇〇人だそうですが、私という存在はその中で唯一、私一人であり、人口がこれからいくら増えても私以外に、私は存在しません。
クローン技術が発達しもう一人私と同じ人間を作ったとしても、それは遺伝子が一緒と言うだけで、生まれた因も、縁も、時期や環境も異なり、この私ではありません。
人間だけではありません。私の生活を支えるすべてのものは、世間巷に数多く生産され、数ある中の一つが縁あって私のところに来て、今の今、私の生活を支えてくれる大切な存在です。
そのように一つ一つの因と縁と果を省みると、私自身も、私以外の人も、品物も、すべての存在が愛おしく、他のものと代えることができない存在として味わえます。
一つ一つがかけがえのない存在。その大切さを教えてくださるのが仏法であります。
2024年04月16日【450】