こころの電話

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11月1日~人が少なくなったな~

 短い秋も終盤に、虫の声もすっかり聞こえなくなりました。

 さて先日、ご門徒のTさんのお宅にご法事に出向きました。お母さまの満中陰のご法要です。

 いつもの通り『仏説阿弥陀経』をお勤めして、ご法話の後、会食に移りました。

 すると八畳二間の会場のどこからか、「人が少なくなったな~」と声がしました。Tさんのご両親はきょうだいが多く、以前より法事となると親だけでなく、子や孫まで部屋に入らないほどたくさんの方々が集まっておられました。

 次第にきょうだいも少なくなり、子どもたちは都市部に住み、しかも平日のご法事でしたので孫はおらず、先ほどの声は、昔のご法事の人数に比べると少なくなったことを言われたのです。

 すると、会場のどこからかすぐさま「みんなお浄土に参ったからな~」と声が帰ってきました。

 その声には、人は少なくなって寂しくはなったけど、寂しさだけではないあたたかさがありました。きっとそれは再び会える約束があるからです。

 また私は、ご法話で「お念仏をいただくことの大切さ」をお話ししたのですが、それに応えるように「昔じいさんたちが、『朝起きたら南無阿弥陀仏、夕べにも南無阿弥陀仏・お念仏を大切にせえよ』と、しょっちゅう言うてたことを思い出したな~」との声が帰ってきました。

 その声には、しみじみとした懐かしさとぬくもりがありました。きっとそこには、確かな教えがあるからです。

 『朝起きたら南無阿弥陀仏、夕べにも南無阿弥陀仏』とは、「あなたのいのちの帰すべきところは、真実のはたらきである阿弥陀如来ですよ」ということです。

 いのちの帰すべきところだからしょっちゅう言うのであり、だからお念仏は大切なのです。

 まことに有り難いご法事のご縁でありました。

11月1日~人が少なくなったな~2023年10月31日【439】

10月16日~お婆ちゃんは行けないじゃない

 新米を仏前にお供えしました。豊の秋です。

 さて前回、中秋の名月にちなんで、とんちで有名な一休さんと本願寺八代のご門主・蓮如さんのお話をしましたら、ご門徒からおもしろかったとお声をいただきましたので、今回も続いて。

 一休さんが、蓮如さんにまたまた歌で問いかけました。

 「極楽は 十万億土と説くならば 足腰立たぬ婆は行けまじ」

 『阿弥陀経』というお経に、阿弥陀如来の極楽浄土は私たちの世界より西に十万億土離れたところにあると説かれているところに一休さん着目し、そんな遠いところであれば、足腰の立たないお婆ちゃんは行けないじゃない、と問いかけているのです。

 十人に一人が八十歳以上と言われる高齢化の日本、ほとんどの人が行けません。いや、十万億土ですから若い人でもきっとたどり着けません。

 それに対し蓮如さんは、歌で応えました。

 「極楽は十万億土と説くなれど 近道すれば南無の一声」

 確かにお経にはそう説いてはあるけど、その遠いお浄土にこちらから汗水流して行くのではありませんよ。お浄土は、南無阿弥陀仏とお念仏を申す人のところには、お浄土の主である阿弥陀さまがいつもご一緒してくださっているのですよ、と応えられました。

 極楽浄土は私たちを救わんとする真実の世界であり、その真実のはたらきが私たちの目に見えるようにお姿になって現れてくださったのが、阿弥陀如来という仏さまです。

 「わが名を称えよ、必ず救う」が阿弥陀如来の願いですから、私が南無阿弥陀仏と念仏申すところに、その真実のはたらきが届いているのであり、それを「近道すれば南無の一声」と言われているのです。

 大切なことは弥陀の願いに素直に頷くこと。それを蓮如さんは「近道すれば」とおっしゃいました。

10月16日~お婆ちゃんは行けないじゃない2023年10月24日【438】

10月1日~中秋の名月愛でながら…

 お彼岸が過ぎたというのに、日中はまだまだ暑い日が続いています。

 さて、九月二十九日は中秋の名月で、丸くて美しく輝くお月さまをご覧になった方も多いのではないでしょうか。

 中秋の名月とは毎年まん丸のお月さまだと思っていましたら、そうではないそうで、今年が中秋の名月と完全なまん丸のお月さまが重なる年だそうで、次に重なるのは七年後の二〇三〇年九月十二日だそうです。世の中には知らないことがホントにたくさんあります。

 美しいまん丸のお月さまを愛でていましたら、ふと、ある歌を思い出しました。

 「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助ける」

 これはとんちで有名な一休さんの歌で、本願寺の第八代のご門主・蓮如上人に歌で阿弥陀さまについて問うたものです。

 阿弥陀さまは、慈悲の心で、いのちあるすべてのものを無条件で、わけへだてなく救うと説かれているけどホントなの。助けてください、救ってくださいと、たのむ人だけ救って、他の人には見向きもしないのじゃないのと問いかけているのです。

 その問いかけに、蓮如さんは歌で応えています。

 「阿弥陀には へだつる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ」

 いいえ一休さん、阿弥陀さまのお救いには、わけへだては一切ありませんよ。でも一休さんどうでしょう。夜空に美しい月が輝いて、それが水をためた桶にそのまんま美しく映るときがありますが、桶に蓋がしてあれば、お月さまがどれほど輝いてもどれほど美しくても月は映ることはありません。

 阿弥陀さまは、いつも私たちをまことに道に導こうと心配し通し案じ通しの仏さま。でも、私の心に蓋があれば届くものも届きません。映るものも映りません。それと同じことですよ。

 あなたの心に蓋はありませんか。きれいな阿弥陀のお月さまが映っているでしょうか。

10月1日~中秋の名月愛でながら…2023年10月01日【437】

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