こころの電話

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2月1日~驚きあわてねばならないときは…

 新たな年が明けてはや一月が経ちました。

 一月が早く過ぎてしまうことをよく、「一月は一気に…」と言われますが、能登半島地震によって被災された方々は、「あの時から時が止まったままだ」とテレビでおっしゃっていました。厳しい現実のただ中で過ごしておられることに、胸が痛みます。

 浄土真宗で敬う七人の高僧のお一人、中国の善導大師の書物に『往生礼讃』があります。

お念仏をいただく行者に、一日に六回、四時間おきに阿弥陀仏を讃える文を称えて礼拝することを勧められたもので、本願寺の歴史においても、蓮如上人が正信偈を制定されるまでは、毎日のお勤めはこの礼讃でした。

 その中に無常偈といわれる大変有名な偈文があります。

 人間は、毎日忙しい忙しいとあわただしく目の前の仕事や生活に追われて、あっという間に月日が過ぎ去っていくことに気がついていない。

 自らの命が風の中にあるローソクの火のように、いつ消えるかわからないのに、せわしく落ち着くこともなく、無常の中でうろうろと漂いながら日暮らしをしている。

 そのような状態にありながら、頼りとならぬものを頼りとし、あてにならぬものをひたすら求めて日々を過ごし、苦しみの世界から抜け出すことができずにいるのに、どうして安穏として落ち着いておれるのであろうか。驚きあわてねばならないときはとっくに来ている。

 皆一人ひとり、よく聞くがよい。自分で聞き、学び、行動できるうちに、一日も早くさとりの道、お浄土への道を問いたずねなさい。大切なのは今、今、今ですよ。

 無常という厳しい現実を知らされた一月でした。被災地への支援をさせていただきつつ、無常偈のお言葉を深く味わいたいと思います。

2月1日~驚きあわてねばならないときは…2024年02月02日【445】

1月16日~被災地にこころをよせて…

 新しい年が明けて半月が過ぎました。

 今年の年明けは能登半島地震、また羽田空港での日航機と海上保安庁の飛行機が接触炎上という大きな震災と事故で始まりました。

 地震によって被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 テレビの報道で、被災された方が、「今はただ、頑張るしかない」と、肩を落としておっしゃっていましたが、「しかない」という表現は、それ以外に方法がない、仕方がないからそうするしかないと、あきらめの時によく使う言葉ですが、被災されて何もかも失われた方が厳しい寒さの中でおっしゃった、「頑張るしかない」との言葉に、心が締め付けられる思いでありました。

 新年のテレホン法話でお釈迦さまが諭されたこの世の道理をお話ししました。

 縁起といって、私のいのちは、多くのいのちによって支えられ、生かされ、お互いにつながっているのですよという教えです。被災地に心をよせて、大きな事はできませんが、少しでも復興の支援のために努めたいと思います。

 無常といって、すべてのものは常に移り変わり、老、病、死をかかえた私自身も、いついかなる時にどうなるか、はかることはできませんよという教えです。震災も事故も、遠い地での話ではありません。その無常の中で私たちは一瞬一瞬を過ごしていることを心したいと思います。

 無我といって、伴侶や家族、財産など、常々頼りにしているものが本当は頼りにならない存在ですよという教えです。限りあるいのち持つ私たちにとって、現在も、未来も、本当に頼りとなるものは何なのかを求める日暮らしをしたいものです。

 親鸞聖人は、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とおっしゃいました。

このお言葉に、どのような意味があるのかを聞き訪ねていきたいと思います。

 共々に、被災地に心をよせて、できるところから支援のお手伝いをさせていただきましょう。

1月16日~被災地にこころをよせて…2024年01月21日【444】

1月1日~この世の道理に目覚めて…

 二〇二三・令和六年、明けましておめでとうございます。

 本年も、覺照寺「こころの電話」をよろしくお願いいたします。

 さて、お正月のお寺の掲示板には、先日読んだ本の中にあった法語をお借りして掲示しました。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 お釈迦さまがお説きくださった仏さまの教えとは、特別な難しい教えではありません。

 縁起といって、私のいのちは、多くのいのちによって支えられ、生かされ、お互いにつながっているのですよという教えです。

 無常といって、すべてのものは常に移り変わり、老、病、死をかかえた私自身も、いついかなる時にどうなるか、はかることはできませんよという教えです。

 無我といって、伴侶や家族、財産など、常々頼りにしているものが本当は頼りにならない存在ですよという教えです。

 お釈迦さまは、この世の道理に目覚めなさい。本当に頼りとなるものを頼りとして生きていくことを、仏教という教えをもって示されたのであります。

 そのことを、親鸞聖人は、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とおっしゃいました。

 今日一日、多くのいのちによって支えられた私のいのち。いついかなる時にどうなるかわからない私のいのち。頼りとしているものが頼りとならない世の中で、生きていく私を、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、そのまま抱きとめ、仏さまの道へと常に導いてくださいます。

 今年一年、南無阿弥陀仏のお念仏とともに、周囲の方々にはやさしく、周囲の方々のしあわせを願って、力強く生きていきましょう。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 本年もよろしくお願い申し上げます。

1月1日~この世の道理に目覚めて…2024年01月05日【443】

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