最近の記事
1月16日~病気を得てそのことを楽しむ
早いもので一月も半ばです。
さて私事で恐縮ですが、二日前からインフルエンザに感染し寝室に隔離されています。
高熱が続く中、布団に横になりながら頭に浮かんできたのは、「浄土を願う行人(ぎょうにん)は、病患 ( びょうげん ) をえて、ひとえにこれを楽しむ」という言葉です。
この言葉は、本願寺八代目の宗主・蓮如上人が往生される前年、八十四歳の時にお書きになった『御文章』にある言葉で、法然聖人のお言葉として紹介されています。
蓮如上人がお亡くなりになる前年ですので、きっと身体的にも精神的にも衰弱されていたと察しますが、その現代語訳は、法然聖人は「浄土を願う人は、病気を患ったとき、ひとえに浄土往生が近いとこれを楽しく思う」とおっしゃいましたが、私には病気を喜ぶような心境には到底なれません。浅ましい我が身であります。恥ずかしく悲しい思いでありますという意味です。
インフルエンザは数日も寝ていれば完治する病気ですが、これが重度の病、あるいは死を意識しなければならない病に罹患したときに、「病患をえて、ひとえにこれを楽しむ」という境地にはなかなかなれないのだろうと思います。
ただ、この度発病してから、幼稚園の職員方からは「幼稚園は大丈夫ですからゆっくりとお休みください」との言葉をいただきました。お葬儀・ご法事をお迎えのご門徒には、病気の理由を言ってご理解をいただき代わりの僧侶に出向いてもらいました。家にあっては、坊守がお仕事をしながら三度三度の食事を寝室まで運んでくれました。
アタリマエの日常がアタリマエでないことに、また気づかされた思いです。
煩悩をかかえた私には、病気を得てそのことを楽しむことはなかなか難しいことですが、病気によってあらためて日ごろのお陰さまに深く感謝し、お念仏を喜ばせていただくことはできます。
1月16日~病気を得てそのことを楽しむ | 2025年01月16日【467】
1月1日~ヘビを見かけたらやさしくね!
二〇二五年、令和七年、明けましておめでとうございます。本年も「覺照寺こころの電話」をよろしくお願いいたします。
さて、今年は巳年です。巳とはヘビのことですが、ヘビを好きな人もいるでしょうが、どちらかというと嫌いな人の方が多いのかもしれません。でも、今年はヘビさんの年なのです。
そのヘビさんは、仏教ではとても重要な役割を果たした生き物として今に伝えられています。
仏教を開かれたお釈迦さまは、シャカ族の王子の地位をすべて捨てて出家され、六年間の過酷な修行に取り組まれますが、悟りを得ることができずに心身が衰弱します。そして通りかかった村娘のスジャータから乳粥を施され、川で身を清めて何とか気力を取り戻し、菩提樹の下で瞑想に入り、強い意志を持ってついに悟りの境地を得ることができました。三十五歳の時です。
そのお釈迦さまが悟りを得る最後の時に、座禅をしたお釈迦さまの背後から覆いかぶさり頭を傘のように広げて屋根となり、熱い日差しや大雨からお釈迦さまを七日間お守りしたのがムチャリンダというヘビの王様です。そして七日後、仏教の教えを説くためにお釈迦さまに帰依したと伝えられます。
仏教ではこのムチャリンダは、ヘビの中の王さまとして、ナーガ王と讃えられています。
このナーガは、インドをはじめ東南アジアでは水をつかさどる神として信仰され、仏教と結びついて多くの像が造られています。
このように、ヘビはお釈迦さまを護り、仏さまの教えに帰依した生き物ですから、どうか嫌わないでください。
もし今年の夏、ヘビを見かけたらやさしく逃がしてあげてください。もしかしたらそのヘビは、お釈迦さまを助けて帰依したナーガ王・ムチャリンダの子孫かもしれませんから…。
今年もよろしくお願いいたします。
1月1日~ヘビを見かけたらやさしくね! | 2024年12月30日【466】
12月16日~一番言ってほしくない部分
今年もはや大掃除の時期となりました。
さて毎年、健康で生活できるために健康診断を受けていますが、もしも検査を受けて、数値が高かったり、何か臓器に影が写ったりすると、再検査の案内があり、大きな病院を紹介されて精密検査を受けることになります。
そんなとき、私も含めて、おおよそ皆の口から出るのは、「やばい、検査に引っかかってしまった」という言葉です。
今までの生活に支障が出るかも、仕事にも影響が出るかも、様々なことを考えてしまいますから、当然かもしれません。
しかしよく考えてみると、その検査は私を悪い方向へ引き釣りこもうとしたり、おとしめようとしているわけではありません。
私の体の悪いところを見つけるための検査ですから、悪いところが見つかったならば、「よかった、悪いところを見つけてくださって、教えてくださってありがとう。感謝します」というのが本来かもしれませんが、なかなかそのような言葉はこの口から出てきません。
自分自身の期待する状況と異なる状況になったから、それに対する不満や憤り、落胆や不安があるからでありましょう。
お寺でのお聴聞も同様のことが言えるかもしれません。仏さまの教えを聞くと、怒り腹立ちねたみが途絶えることのない私とか、罪深い悪人の私とか、自分自身の心の中や行いの、一番言ってほしくない部分を指摘されるようであります。
「人の噂話は嘘でもおもしろいが、自分の噂話は本当でも腹が立つ」という言葉がありますが、自分自身の心の奥底や行動を指摘されることは気持ちのいいものではありません。
でも、健康診断は体の悪いところを作っているわけではありません。体のここが悪いから早く直せという催促です。
お寺でのお聴聞も仏さまからのお救いのご催促です。
12月16日~一番言ってほしくない部分 | 2024年12月14日【465】