こころの電話

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2006年1月1日

明けましておめでとうございます。今年も「覚照寺 心の電話」をよろしくお願い申し上げます。

さて、二〇〇六年、新たなる年のスタートですが、お経には人の尊い生き方について「施し」をあげ、金品を伴わない七つの布施を勧められています。

「眼の施しと書いて眼施」、これはいつもあたたかな眼差しを相手にそそぐことです。
「平和の和という字に、顔の施しと書いて和顔施」、これはどんな人にあっても和やかな顔で接することです。

「言うという字に広辞苑の辞、その下に施しと書いて言辞施」、これは周りのものにいつも優しい言葉をかけることです。

「身体の身という字に施しと書いて身施」、これは自分の身体を動かして他のために奉仕することです。

もう一つ心施。これは「心の施し」と書きますが、周りの人にいつも真心で接すること。

「床という字に座席の座、そして施しと書いて床座施」、これは相手にいつも喜んで座席を譲ること。

最後は、「房という字に家という意味の舎、そして施しと書いて房舎施」、これはいつも自分の家をきれいに整えて、喜んで誰にも提供することです。

お経には、この七つの布施を実践する人は、大果報を得ることが出来ると示されています。

一見すると、誰にでも出来そうな布施なのですが、難しいのは「どのような心理状態にあっても喜んで」ということです。

人はだれしも、自分の意に添うことであれば素直に喜ぶことが出来ますが、意に添わないことがあるとなかなかそうはいきません。また普段思いもしないことが突然起こると動揺したり、迷走したり、他人への施しどころではありません。

そこで大切なのがお念仏を称えることです。念仏の念とは今の心と書きます。つまり念仏を称えるとは、称える今の心に仏が届くのです。喜びの中にあっても、悲しみの中にあっても、苦しみの中にあっても「南無阿弥陀仏」と称える今の今、いつでもどこでも仏さまは宿ってくださいます。今年もお念仏をお称えしながら七つの尊い施しを実践して参りましょう。

2006年1月1日2006年01月01日【1】

2005年12月15日

今年もあと半月になりました。

さて先日、お寺にお参りに来られた男性が、「私は、いよいよ来年が本厄で何もかも気をつけなきゃ。お寺でも厄払いをしてもらえるのですか?」と、聞かれました。

私は、「お寺よりもまず病院に行って、普段できない精密検査をしてもらった方がいいですよ」と答えました。私自身、四十過ぎに初めて行った人間ドックで大腸ガンの早期発見があり、その経験に基づくものです。

厄年は平安時代からあったようで、後世になって男性は二十五,四十二,六十十歳,女性は十九,三十三歳となりました。その前年を前厄、その年を本厄、翌年を後厄といい、特に男性四十二歳、女性三十三歳を大厄というようになりました。それは、四十二歳は数字の四と二で死に(シニ)、三十三歳は数字の三と三で散々(サンザン)、ということで忌み嫌われたといわれます。根拠もなく他愛のない語呂合わせですから、あまり気にする必要はありません。

ただ、三十過ぎ、四十過ぎ、六十過ぎは身体的にひとつの節目、家庭や仕事、社会的にも大きな負担がのしかかる時ですから、普段よりもいっそう気をつけて身を慎むよう、昔の方の戒めかもしれません。

数年前、ご門徒のMさんが、「六十歳になったので…」とお寺にお参りに来られました。「厄払いかな?」と思い応対しましたが、Mさんはこうおっしゃいました。「私は今年で定年です。これまで長い間会社に勤めましたが、中には仕事が厳しくて続かず辞めた同僚もいます。病気や事故で亡くなった同僚もいます。そういう中で、私がこの年まで仕事ができ生きてこれたのも、この同僚を初め皆さんのおかげです。だから感謝の思いで仏さまにお参りに来たのです」。

私はこの言葉に頭が下がる思いでした。そしてMさんと一緒に感謝のお勤めをしました。根拠のないものを恐れて払うより、「おかげさま」と感謝の心で力強く生きる。とてもすばらしいことではないでしょうか。一年の暮れ、感謝の思いで過ごしたいと思います。皆さま良いお年をお迎えください。

なお、次回は二〇〇六年元旦にお話が変わります。また、覚照寺では元旦の朝八時から新年最初のお勤め・修正会を勤めます。ぜひお参りください。

2005年12月15日2005年12月15日【3】

2005年12月1日

朝夕の寒さの厳しさに、山々も紅く染まってきました。

さて、十一月三十日は、覚照寺仏教婦人会の研修旅行で、知覧の特攻平和館、そして同じく知覧の立山のかくれ念仏洞に参りました。

ちょうどその日は、広島市の小学一年生女児殺害の容疑者・ペルー国籍の男性が捕まった日でもあり、道中バスの中は早速その話題になりました。

参加のご婦人方は、孫達に、「知らない人から声をかけられたら、近寄ってはダメよ」「道路で道を聞かれても、すぐにその場を立ち去りなさい」と、注意しなければ…と、口々におっしゃっていました。私も幼稚園・保育園でたくさんの子ども達をお預かりする者として、同様のことを考えました。

その後バスは、知覧の特攻平和館に着き、特攻隊員のお話を聞きました。

特攻隊員の生き残りの方々の証言から、昭和二十年、爆弾もろともに敵艦に体当たりをした特攻隊員のお気持ちは、敗戦の色濃い日本において、この身をもってしても、どうにかわが両親を守りたい。兄弟を守りたい。家族を守りたいの一念だったそうです。自らの家族をはじめ、日本の安らかなる平和を願う一念だったそうです。

そのお話や、しっかりとした文字でつづられた遺書を拝見しながら、私は自分の生活する今の社会を恥じました。大変残念に思いました。

それは、子ども達に「大人を信じてはいけない」「近寄ってはいけない」と警告しなければならない社会とは何なのでしょうか。子ども達が、一般の道を安心して歩くことが出来ない、遊ぶことの出来ない社会とは何なのでしょうか。

今は亡き特攻隊員の方々がこの社会を見られるならば、さぞかし深く悲しまれることでしょう。

大きなことは出来ませんが、子ども達が安心して楽しく過ごせる社会づくりに精進せねばと、深く反省することでした。

なお、いよいよ覚照寺の報恩講法要が近づいて参りました。十二月十一日と十二日は、昼一時と夜七時三十分から、十三日は午後一時のみとなっています。お斎接待もあります。新しくなった本堂にご家族でお参り下さい。

2005年12月1日2005年12月01日【4】

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