2005年10月15日
食欲の秋です。
さて、宗教評論家のひろさちやさんが、スリランカに旅をしたときの出来事です。
魚市場のある小さな魚屋で、木の台の上に、三十センチほどの魚が一匹乗せられて、その横に三人の男が立っていました。
「あななたちは何をしているのですか」と、ひろさんが尋ねると、「私たちは魚を売っています」と男たちは答えました。
続いて、「これは、今日最後の魚ですか。この魚はどこから仕入れたものですか」と聞くと、男たちは、「いえ、今日は最初からこの魚一匹だけです。これは私たちが海から捕ってきました」と答えました。
それを聞いて、ひろさんは唖然としたそうです。そして、「大の男三人して一匹の魚を売りに来る必要はないのではないですか。一人が売って、あとの二人は魚捕りに行けばいいじゃないですか。もっと儲かるように考えなければ。あまりにものんびりしすぎだと思うんですが…」と、男たちに問いかけました。
すると、三人のうちの一人が、「でも、今日はこの一匹だけを売れば充分だ。あしたの魚は、あしたまた海に行って捕ってくる。それで充分だ」と答え、もう一人の男が、「海にはいつでも魚がいるから…」と付け加えたそうです。
この言葉を聞いて、ひろさんは、私たち日本人が忘れ去った大切なことに気付かされたといいます。
つまり、「欲少なくして、足るを知る心を持ちなさい」ということです。つまり、今日はこの一匹の魚で充分だ。あしたの魚は、あしたまた海で捕って、あしたを過ごせばよいという、つつましやかな生活です。一匹だけであれば、もし売れなかったら、彼らの家で食べればよいのです。冷蔵庫が普及していないスリランカでは、二匹も三匹もあれば腐らせてしまうのです。
冷蔵庫に入れればいいじゃないかと思いますが、あしたの魚はあした捕れば、海の魚は一日だけ長生きができます。
文明の進んだ人類だけが、もののいのちを必要以上に奪い、保存しながら生活をしているということを、食欲の秋、心のどこかにとどめていたいものです。
2005年10月15日【7】