2005年10月1日
コスモスが風に揺れる季節となりました。
さて、覚照寺の本堂は、ご門徒の皆さまの志によって、昨年から今年にかけて大修復を行い、内外ともに立派な本堂になりました。
ご法事で来られたご門徒方が、まるで自分の家がきれいになったように喜んでくださり、本当に嬉しく思います。
この工事は、主に山口県の宮大工によるものですが、この棟梁が工事中にいつも言われたことは、覚照寺の本堂は、シロアリや戦争の機銃掃射で被害を受けた屋根以外は、70数年を経た今でも、不思議なくらいしっかりとして、ほとんど狂いがないということでした。
その訳は、新築当時、とても質のよい材木を使用していることと、地固めの基礎がとてもよくできているということです。
現本堂は昭和4年から6年にかけてできたのですが、総工費が41,386円で、当時としては相当な金額で、これによって質のよい材木を調達できたのです。
また、ご高齢のご門徒方から、現本堂が新築されるときは、集落ごとに出向いて、地固めのための地付きを皆人力で行ったり、木材のろう磨きを手で行ったと聞きました。
つまり現本堂は、先輩ご門徒方が手かけ隙かけしてそろえて頂いたすばらしい材料と、しっかりとした基礎によるものであり、言い換えると、先輩ご門徒方の仏さまを敬う心が凝縮された建物であるということです。
私はこのことを大変有り難くお聞きしました。と同時に、これは人間も同様のことが言えると思いました。
つまり、人間としての基礎がしっかりできているか。子どもを育てる親の身でありながら、手をかけ隙をかけて、子どもの、人間としての基礎をしっかりと築いてあげることができているかどうか、ということです。
本堂のように、心身共に基礎が整っていなければ、長い人生の中で、強い風や、大雨に絶えることはできません。
一人の人間として、自分自身の基礎ができているか、これから人生を生きぬいていかなくてはならない子や孫たちの基礎は果たしてどうか、あらために考えてみたいものです。
2005年10月01日【8】