5月16日~お別れするその時に…
空豆が美味しい季節となりました。
さて、この度、長年乗ってきた自家用車を乗り換えました。
新車が来る前日に、これまで乗ってきた車の前に、阿弥陀如来のご本尊を安置してお勤めをしました。
思い返せばこの数年間、近隣遠方、お仕事でどこに行くにも、私を目的地まで安全に運んでくれました。
大雨の日も、台風の日も、炎天下の暑い日も、凍り付くような寒い日も、エアコンのきく快適な空間の中で、私を目的地まで運んでくれました。
さらに、初めて行くところにはナビゲーションで案内を、また快適な音楽を奏でながら運んでくれました。
多くの人は、新車を迎えたときに、事故が起きないように安全にと、神仏にお願いをされることが多いようです。その気持ちはわからないでもないのですが、私はこれまで乗ってきた車とお別れをするときの方を大切にしています。
なぜなら、私が車を運転して生活する以上、絶対に事故なく安全に過ごすことは不可能ですし、神仏にそれをおまかせするのは無茶な話です。
しかし、ご縁があって、自動車が私のところに来て、お仕事でもレジャーでも、お別れするその日まで安全に、快適に、過ごさせてくれたのはその車のお陰です。
この度も約十万キロ走行しましたが、足下を支えてくれたタイヤはどれほど回転したでしょうか、その身をすり減らしたでしょうか。お別れする車が、私と家族のために、精いっぱい務めてくれたのは間違いのない事実だからです。なんと有り難いことでありましょうか。手を合わさずにはおれません。
仏教は、縁起の法を説く教えであります。すべての物事には、原因があって、縁がはたらいて存在しています。そのことを深く味わっていくところに、こころ豊かな人生が開かれます。
お別れと同時に、新しく運ばれてきた車にも、「またこれからよろしく」とご挨拶をしました。
2024年06月01日【452】