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3月16日~仏さまにしかわからないこと

 春北風が吹く季節です。

 さて、ご法事でよく拝読するお経が『仏説阿弥陀経』というお経ですが、その中に東西南北、上方下方におられる数多の仏さま方が、阿弥陀如来の功徳を褒めたたえ、お念仏のみ教えこそまこと真実の教えであることを勧めておられる箇所があります。

 常々拝読するたびに有り難い思いになります。なぜならば、煩悩をかかえた私たち人間を救うために、一時も休むことなくはたらき続けておられる数多の仏さま方が、この阿弥陀如来の本願こそ確かなお救いであると、口をそろえて証明されているからです。

 先日、アメリカ映画界最高の栄誉とされるアカデミー賞が発表され、山崎貴監督の映画『ゴジラ-1.0』が日本映画としては初めて視覚効果賞を受賞しました。この賞は視覚効果や特殊効果という特撮に関して、その技術性を評価する賞です。

 そしてこのアカデミー賞の特徴は、賞の選考者が映画評論家や映画ファン、映画記者ではなく、映画作りに携わる人たちであり、特にこの度『ゴジラ-1.0』が受賞した視覚効果賞は、ハリウッドの視覚効果のプロが投票した結果であり、技術的な表現をハリウッドのプロの目で見て評価した最高の賞と言えるべきものだそうです。

 作り手には作り手しかわからない技術の世界があります。作り手しかわからない苦労と工夫もあります。しかもその最高峰で仕事をしている人たちによって映画『ゴジラ-1.0』は最高の栄誉を得たわけです。

 仏さまのお仕事と映画の製作とを比較するのは好ましいことではないかもしれませんが、しかし、煩悩をかかえた私たちを救うために努めておられる仏さまには、仏さましかわからないご苦労とお考えがあります。

 その数多の仏さま方が、この阿弥陀如来の本願こそ最高のお救いであると証明されたところに、まこと真実があり安心があるのです。

 最後に、『ゴジラ-1.0』受賞、おめでとうございます。

3月16日~仏さまにしかわからないこと2024年03月15日【448】

3月1日~その時になってみないとわからんです。

 先週の雨と暖気で、庭の岩ツツジが一斉に開花し始めました。

 さて、テレビでは毎日のように政治とお金の問題が報道されていますが、人間はお金が絡むと正しい判断ができなくなる生き物のようです。

 昔、僧侶の先輩から伺ったお話です。

 ある小学校一年生のクラスで、先生が道徳の授業で生徒たちにこう問いかけました。

 今日、学校からの帰り道、道路に一万円が落ちていました。皆さんならどうしますか。

 すぐにある男子生徒は手を挙げて答えました。「先生、そんなことはアタリマエのことだ。すぐに警察に届けるだけです」。

 今度は女子生徒が答えました。「先生、一人で警察に届けるのは心細いので、いったん家に持ちかえって、お父さんと一緒に届けたいと思います」。

 みんな口々に、「交番に、警察に届ける」と答えました。素晴らしい生徒たちばかりです。

 先生がふと教室内を見わたすと、いつも授業で元気に答える男子生徒のA君が今日に限って手を挙げていないことに気づき、少し心配になって、「A君、君は今日は答えてないけど君ならどうする」と、先生の方から問いかけました。

 すると、A君は少し戸惑いながら、「僕ですか、僕は、その時になってみないとわからんです」と答えたそうです。

 他人のお金を拾ったら警察に届けることが正しいことは頭では知っている。でも、その時に自分が本当にお金に困っていたら…、普段手にできないような大金だったら…、その時に、喉から手が出るくらいほしい品物があったら…。その時になってみないとわからない。その時の自分の状況、縁次第でどのようなことを思い、どのような行動を取るかわからない。

 A君の答えは、この私にも強く問いかける答えです。そして政治家の皆さんにも…。

3月1日~その時になってみないとわからんです。2024年03月02日【447】

2月16日~心が落ち着くな~、懐かしいな~

 お寺の庭にも、萌野さながらに、さまざまな草の芽が顔をのぞかせてきました。

 さて、昨年の暮れ、離郷門徒のUさんが帰省され、お寺にお参りに来てくださいました。

 本堂の仏前でお参りをされた後、一言、「あ~心が落ち着きますね。昔本堂の裏の押し入れにお仕置きで入れられるのが怖かったな~、でも懐かしい思い出です」とおっしゃいました。

 戦後、子どもが多かった時代、お寺で地域福祉の一環として子どもたちを預かり、それが後にお寺で運営する保育園として発展してきました。

 先生の言うことをなかなか聞かない子や友達に悪さをする子など、俗に言うきかん坊は、お寺の裏の薄暗い押し入れにお仕置きで入れられるのが常で、昭和三十年代までは、それがアタリマエのようにされていました。

 私自身もお寺に生まれた子ではありますが、ご多分に漏れず何回か入れられた思い出があります。

 当然、今の時代は許されませんし、虐待と言われる行為です。

 しかし、押し入れに入れられて叱られてそれで終わりではありませんでした。泣き顔で目が腫れた子どもに寄り添って、やさしくていねいにお話をしてくださる先生の姿がありました。

 きっと先生も、子どもが思うように言うことを聞いてくれない、先生としての技術不足に忸怩たる思いで、仏さまに頭をもたげながら、そうせざるを得なかったのかもしれません。

 お寺は、仏さまの教えを聞く聴聞の場です。仏さまの御心にふれる場です。そして、ご門徒方が愚痴も言えて、慰め合って、笑い合って、励まし合う場です。また心が安らぐ場でもあります。

 Uさんのように、「懐かしいな~、心が落ち着くな~」とおっしゃるご門徒が一人でも増えるように努めたいと思います。

2月16日~心が落ち着くな~、懐かしいな~2024年02月18日【446】

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