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2月16日~ただ今、それ一点のみ…
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」。やることが多いのに時間だけが過ぎて、物事が思うように進まないことを表した言葉です。
さて、平昌オリンピックでは、各国から参集した選手たちが素晴らしい演技や競技を披露して、世界の人々に多くの感動を与えています。
この日を目指して試練に耐えて練習を重ねてきた選手たちばかり。その成果を思う存分発揮してほしいものですが、オリンピックの大舞台、いつも通りの平常心を保つことは並大抵のことではないでしょう。
鎌倉時代、禅宗の有名な高僧・瑩山(けいざん)禅師がお師匠の徹通(てっつう)禅師に、「平常心とはどのような意味か」と問われて、「茶(さ)に逢うては茶を喫(きつ)し、飯(はん)に逢うては飯を喫す」と答えています。
お茶を飲む時はひたすらお茶を飲み、ご飯を食べる時はただただご飯を食べる。それが平常心だと言われるのです。
私たちが普段お茶をいただく時は、家族の者とあれこれ世間話をしながらお茶を飲む。あるいは新聞や雑誌を見ながら飲んでいる時が多いようです。
ご飯を食べる時も、テレビを見たり話をしたり、あるいはあれこれ物事を考えながら食べることが多いようです。
瑩山禅師は、平常心とは、お茶を飲む時はひたすら飲んで、ご飯を食べる時はひたすら食べて、ただ今それ一点のみに集中し、その他のことはあれこれ考えない。余計なことをしないこと、とおっしゃいます。
オリンピック選手も様々なプレッシャーで大変でしょうが、ただ今それ一点のみ、それ以外のことはあれこれ考えない平常心で、競技や演技に望んで欲しいものです。
いや選手たちだけではありません。私ども一人ひとりも、先のことばかり考えてあれこれ心配ばかりするのではなく、目の前にある事柄を、比べず、焦らず、コツコツと、ただ今それ一点のみの心で、勤めて参りたいものです。
2月16日~ただ今、それ一点のみ… | 2018年02月17日【303】
2月1日~お骨を見るたびに…
インフルエンザが流行っています。予防に努めましょう。
さて先日、お母様を亡くされたご門徒宅に納骨の法事に出向いた時、お嬢さんが私に、「本当に母は往ってしまったのですね。今日まで毎日、お骨の箱を見るたびに、しみじみとそのことを感じました」とおっしゃいました。
遺骨とは命あるものの最後の姿であり、その姿を通して、人は必ず死なねばならないこと。そして愛する人、頼りとしている人と、いつぞやかは悲しい別れをしなければならないことを、後の残る人々に伝える大切な存在であることを、あらためて知らされました。
一方、先般テレビで、遺骨を灰にして海や山に蒔く、いわゆる散骨に関するニュースが流れていました。
自然を心から愛される人もおられましょうが、どちらかというとお墓を求めにくい都会に多く、自分が亡くなった後のお世話をしてくださる人がいないなど、様々な事情や思いが、このような傾向を生んでいるのでありましょう。
お骨をどうするかという問題については様々な考え方があり、各々自由で否定されるものではありません。
ただ、私個人のことに限って申せば、「自然に帰る」という方法はただ今考えられません。それは、私自身のいのちは阿弥陀如来のご本願にお任せするので、自らの遺骨に執着するものではないのですが、自分自身の生活を顧みる時、誠に恥ずかしながら、本当に自然に寄り添って生活をしているのか。多くのいのちが互いに支え合いながら存在する自然のことを見つめながら生活をしているのか、疑問に思うからです。
衣食住、自分の生活のすべてが自然と無関係なものは何一つありません。生きている間にそのことを真剣に見つめ、実践できていない自分自身が、死ぬ時だけ一方的に「自然に帰る」とは、たとえ僅かな粉塵であったとしても、言えない気が致します。
家族の遺骨とはどのような存在か。そして自らの遺骨をどのように受け止めるのか、あらためて問わねばならない時代が来ているようです。
2月1日~お骨を見るたびに… | 2018年02月01日【302】
1月16日~思いをめぐらせましょう。
新たな年が明けて半月が経ちました。
さて、今月八日は成人式でしたが、横浜市の振り袖販売・レンタル業者が突然休業し、晴れ着を着ることができず、成人式に出席できない新成人がたくさんいたという、耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。
また予約していた晴れ着がネット上で転売されたり、被害は来年の新成人にまで及ぶのではないかと心配されています。
きっと、大切なわが子の晴れの日にと、ご両親が用意されていた家庭もあったことでしょう。おじいさんおばあさんが孫のためにと用意されていた家庭もあったことでしょう。中には、自分でコツコツと貯金をしていた方もおられたと思います。
晴れ着は単なる商品や品物でなく、新成人を祝うそれぞれの真心が、あの色艶やかな形になったもので、そう思うとき、この度の大人の無責任な行為に憤りを感ぜずにはおれません。
また今月十五日は、軽井沢町でスキーバスが転落し、乗客乗員十五人が亡くなり、二十六人が重軽傷を負った、あの大事故より丸二年でした。
犠牲者はすべて大学生で、経営者は運転手に義務づけられた健康診断も、適性検査も実施していなかったと聞きます。将来を担う若者のいのちが失われたことは本当に残念でなりません。
激しい価格競争や儲けを優先するがあまり、その被害が多くの若者に及んでいることを、私たち大人は今一度、真剣に顧みる必要があります。
思いをめぐらせましょう。もっと豊かな創造力を持ちましょう。
自分のお仕事やお付き合いの一つ一つの裾野には、自分の大切な子や孫、家族と同様に、多くの人々のつながりや願いがあることに思いを馳せるとき、自らのただ今の行為が、やがてどのような影響をもたらすのか、すべてとは言わずともある程度予想はつきます。
これからの将来を担う若い方々を、悲しませたり苦しませたりするような社会であってはなりません。
1月16日~思いをめぐらせましょう。 | 2018年01月16日【301】