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4月1日~お浄土への入学者も家族も…

 桜の開花が早く、竹の子の発育が遅い、今年の春です。

 さて、先月は幼稚園やこども園で卒園式が行われ、大きく成長した子どもたちを皆でお祝いし、また保護者の方々は口々に先生方へお礼を言われ、感動と涙にあふれる卒園式となりました。

 思えば、私たちは卒園や卒業、入学や入社の繰り返しで一生を送るわけですが、その人生の最後の卒業式が、お葬式と言えるでしょう。

 ですから卒園式で保護者が、お世話になった先生方をはじめ多くの方々に、お陰さまでと謝意を述べると同様に、お葬式でも、故人がご縁をいただいたことにご遺族が謝意を伝えることは大切なことであり、お葬式は人生の卒業式として意義ある大切な儀式です。

 一方、卒業式が終わると入学式ですが、その人生最後の入学式が、お浄土への入学式で、浄土真宗の特徴は、人生の卒業であるお葬式と入学式が、間を空けることなく同時ということです。

 なぜならば、浄土真宗では、お浄土の入学に向けての準備が何もいらないからです。

 学校への入学の場合、親は制服を用意したり、ランドセルや勉強机や文具など、あれこれ準備をする期間が必要です。しかし、お浄土へ入学するための準備は、阿弥陀さまがすべて成就して、完璧に整えてくださっていますので何の心配もいりません。したがって卒業と入学が同時なのです。

 ですから、後に残る家族が、あれこれ入学の心配をする必要はないのですが、ただ一つだけ大切にしてほしいことがあります。それは南無阿弥陀仏のお念仏をお称えしてお参りをすることです。

 阿弥陀武如来という仏さまは、言わばお浄土の理事長であり校長です。そのお浄土の最高責任者が、「南無阿弥陀仏を称えよ、必ず救う」と勧められるのです。

 ならば、お浄土への入学者もその家族も、その教えをしっかりと聞くことは当然のことです。

4月1日~お浄土への入学者も家族も…2018年04月20日【306】

3月16日~いつでもどんな時でも…

 お彼岸法要で毎日忙しくしていましたら、十六日にご法話を変更することをすっかり忘れていました。申し訳ありません。

 さて、三月十一日は、東日本大震災から丸七年で、お寺でも鐘をたたきお勤めをさせていただきました。

 死者、行方不明者が一八〇〇〇人以上の未曾有の大災害。多くの方々が家族を失い、家を失い、大変辛い思いをされ、それは今もなお続いています。

 その年の夏、甲子園野球に福島県の選手たちが出場した時のことを、偶然読んだ本で知りました。

 惜しくも二回戦で敗退した選手たちは、「このような状況のなかで、甲子園でプレーができた僕たちは本当に幸せでした」と、涙ながらに話をしていたそうです。

 応援していた福島県の方々も、「感動をありがとう。幸せです。選手たちに元気をもらいました」と話しておられたそうです。

 その年の三月、言葉では表せぬほどの辛い思いをされた福島の方々が、選手たちの精いっぱいのプレーを見て、「幸せだ」とおっしゃっていたのです。

 「幸せ」とは何でしょう。お金があって、立派な家に住んでいる人でも、不満だらけの人はたくさんいます。逆に慎ましい生活をされている人でも、幸せな気持ちのなかで過ごされている人もいます。

 その本には、野球選手たちに言われた「有り難う」の大切さが書いてありました。つまり「有り難う」と感謝の思いを忘れず、素直にそれが言えることです。

 「幸せ」という漢字の、横棒一本とれば「辛い」という字になりますが、その横棒一本こそが「有り難う、おかげさま」の感謝の心です。

 生きているかぎり、私たちの身にはどのようなことが起こるか分かりません。

 しかし、いつでもどのような時でも、「有り難う、おかげさま」の感謝の心を忘れない。福島の皆さんはその大切さを教えて下さいました。有り難うございます。

3月16日~いつでもどんな時でも…2018年03月24日【305】

3月1日~大切な話や事柄は若いうちに…

 日中はようやく春めいて参りました。

 さて、かなり前のお話、私の娘が四歳の頃の出来事です。

 私と妻と娘と三人で、鹿児島市内・別院近くの商店街を歩いていた時です。

 娘が私たちの手を振り払い、途中で立ち止まり、私たちと一緒に歩こうとしません。いったいどうしたのかと娘の様子をよく伺うと、お寺の門前町の仏壇店に並ぶ販売用のお仏壇一つ一つに合掌していたのでありました。

 毎日、家のお仏壇に親子そろってお参りをしていたので、お仏壇を見ると条件反射でそうしたのでありましょう。その姿を見て、まことにほのぼのとした気持ちになりましたが、同時に、理屈が分からない幼い子どもはまず、形から入ることの大切さを教えられたことを記憶しています。

 逆に先般、お父様を亡くされた六十代の男性が、「父が生きていた時は、口うるさくて反発ばかりしていましたが、この年になってあらためて思い返せば、父は若い私の将来を案じて大切なことを言ってくれていたのだと、しみじみと思います」と話されていました。

 言われた時には素直に受け入れられなかったことが、時間が経過し、様々な経験をして、なるほど言われたことはそういうことだったのかと、受け入れられるようになったのです。

 昔親から言われたことが、様々なご縁をいただいたことによって、やっと身についたと言えるかもしれません。親の意見と冷や酒は後から効くとはこのことでしょう。

 そうすると、大切な話や事柄は、幼い子どもたちには形から、大人は若いうちにたくさん聞いておくことが大事ということになります。

 仏さまにお参りする習慣も、仏さまのお話も、早めに慣れ親しみ、たくさん聞いておくことが必要です。ご門徒の男性がおっしゃるように、聞いた時にはあまりピンとこなかったことが、人生が深まるごとにその教えが心と体に染みいってくるからです。

3月1日~大切な話や事柄は若いうちに…2018年03月01日【304】

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