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11月1日~大切な日だからこそお経を…

 錦を飾った木々が誇らしく輝く季節です。

 さて先日、お寺のご法座によくお参りになるご門徒が、「住職さん、親の命日にお経を読んでいただく意味が初めて分かりました。有り難いことですね」と、声をかけてくださいました。

 お話をよく聞くと、この方は、親の命日に法事を勤める時にお経は亡くなった親にあげるものだと思っておられたようです。

 無理もありません。ご法事にはお経が必ず勤められますし、亡くなられた親しい方、ご恩を受けた方に対し感謝の思いで読経の功徳を差し上げたいという遺族としての心はとても大切です。

 しかし、お寺のご法座に通い、お聴聞を重ね、もう一歩踏み込んで仏さまのみ教えに耳を傾けると、仏さまは私たち人間の思いを超えてさらに大切なことを説いてくださっていることに気づかされたとおっしゃるのです。

 お経はすべて漢文で書いてあるので分かりづらいのですが、その中には阿弥陀さまがその慈悲と智慧をもって、「あなたを間違いなく救う」という誓いと願いが説かれているのです。

 そして、先に亡くなられたご先祖方は皆、その真実の願いによってお浄土に救われているので、後に残る方々は安心して、ただ今、読まれるお経の言葉を心にしっかりといただきなさいと勧めてくださっているのです。

 私が「亡くなった方のためにお経を…」と思っていたことが、それに先立って、亡き方が阿弥陀さまと共に「あなたを必ず救う」からお経の真実の言葉をいただきなさいと、私のために願っていてくださるのです。「お経が有り難い」とはこのことです。

 親しき方の命日はとても大切な日です。その大切な日だからこそお経を拝読するのです。そこには先に逝った人も、後に残るこの私も、阿弥陀さまに必ず救われるという真実の言葉が説かれているのです。

11月1日~大切な日だからこそお経を…2020年11月01日【367】

10月16日~自らの肌で感じながら…

 朝夕、肌寒さを感じる季節となりました。

 さて毎日、早朝のわずかな時間に散歩をしていますが、日々それが習慣となると、いろんなことに気づかされます。

 星が美しく輝く夜空の日もあれば、雲に覆われた真っ黒な夜空の日もあります。

 鮮やかな朝焼けの日もあれば、太陽を拝むことができない日もあります。

 さわやかな風に包まれる日もあれば、背中を押すような強い風の日もあります。

 一日たりとて同じ空、同じ風、まったく同じ日は絶対にありません。

 冬の有名な星座にオリオン座がありますが、左上の星「ベテルギウス」は、昨年の秋から急激に暗くなり明るさが以前の3分の1になったそうで、星としての寿命を迎えており、いつ爆発してもおかしくないそうです。夜空の星も刻一刻変化をしています。

 仏教で、すべてのものは生滅変化してうつりかわり、一時たりとも同じ状態に留まらないことを「無常」といいますが、電気もなく、冷暖房もなかった時代の人々は、その生滅変化を肌で感じることができたのだろうと、あらためて思います。

 きっと昔の方々は、自然とともに目覚めて、自然とともに寝て、自然とともに生活して、自らのいのちも、無常なる自然の中で生かされていることを、肌で感じながら生活していたのでしょう。

 衣・食・住…、明るい照明や冷暖房器具、便利な調理器具やコンピュータなど、快適な機械や器具に囲まれて生活していると、自然の移ろいを肌で感じることをつい忘れてしまいます。

 自らも、無常なる自然の中で、いのちを生きていることを忘れたくないものです。

10月16日~自らの肌で感じながら…2020年10月16日【366】

10月1日~いつでもどこでも私とともに…

 食欲の秋、新米がおいしい季節となりました。

 さて、昔から、家族のどなたかを亡くされたご家庭で、よく親御さんが幼い子どもに、「おじいちゃんはね、あのきれいなお星様になったんだよ」とお話になる時があります。いったいあれにはどういう意味があるのでしょうか。

 時折、まだ満点の星が輝く早朝に散歩をすることがありますが、夜がゆっくりと明けていくにつれて小さな星、光の弱い星から次第に消えていき、やがては大きな星、燦然と輝く星も消えていきます。

 しかし実際は、あの星たちは空から消え去ったわけではなく、私たちの目に見えなくなっただけで、いつでもどこでも変わらずそこに存在しています。

 お釈迦様はそのことを月にたとえてこうおっしゃいます。

 月が隠れると、人々は月が沈んだといい、月が現れると、人々は月が出たという。けれども月は常に住して出没することがない。仏もそのように存在して変わることがない。

 古代のインドの人々も、夜昼かわらず月も星も消えることなく存在していることを知っていて、そのことを永遠に変わることなく存在する仏さまとその教えにたとえています。

 お釈迦さまは、ご自身が亡くなるときに、嘆き悲しむ弟子たちに、「私はこの世から亡くなるけれど、悲しむことはない。これからは私の残した仏の真実の教えをたよりとしなさい」と話され、時代がどのように変わろうとも、永遠に変わることのない仏の教えを人生の支えとすることを勧められました。

 冒頭の幼い子どもへのお話は、きっとそのことを知っておられたご門徒が、亡くなられた方々は仏さまとなって、お月様やお星様のように夜でも昼でも、どこにいても、常に存在し照らしていてくださることを、お話しくださったのだろうと思います。

 大切なことは、私たちが敬うべき存在、たよりとする教えは、いつでもどこでも私たちとともにあるということです。

10月1日~いつでもどこでも私とともに…2020年10月01日【365】

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