こころの電話

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5月1日~日本の美しい姿いつもでも

 さわやかな風が香る季節です。

 さて、先般テレビ番組で、ブラジルのレストランで、日系の若い方々が食事を前にして、皆で手を合わせていただく様子が放映されており、遠く離れたブラジルの地で、日系の若い方々が日本のお食事の作法を守っていてくださることを誠に有り難く思いました。

 日本人の「食」の文化は、禅宗の開祖・道元禅師が示された『赴粥飯法・ふしょくはんぽう』によるいわれています。

 この書物で大切にされていることは、食べものを作ることも、食べることも修行であるということ。そして「食」全般に対する感謝であると言われます。

 日本の料理、茶道を含めた食事文化の根底に、単に「味」の追究だけでなく心があるのは、この『赴粥飯法』によるといわれ、その中で現代にまで及んでいる作法の一つが、目の前の食べ物に対し合掌することです。

 本願寺第八代の蓮如上人は、「お食事を召し上がるときは、まず合掌されて、阿弥陀如来と親鷺聖人のおはたらきにより、着物を着させていただき、食事をさせていただきます」と、感謝のうちに食事をされたことが記録に残されています。

 明治時代になって、社会の変化に伴なって、日本の家庭から少しずつお膳が姿を消していき、ちゃぶ台が使われるようになり、その一家団欒の場が食事の作法を伝える場となったと言われます。

 その後、家庭で行われてきた食事の作法が、学校教育の場で修身の一環として、教えられてきたようです。

 私たちは、料理を作ってくださった人、食材を用意してくださった多くの人々、動物や植物などあらゆるいのち。その恵みによって、今日一日を生かされています。

 その大いなる働きとご恩に感謝の思いで手を合わす、日本の美しい姿をいつまでも大切にしたいものです。

5月1日~日本の美しい姿いつもでも2021年05月01日【379】

4月16日~素直になれない自分へ

 「春の日は暮れそうで暮れぬ」そんな春の日が続きます。

 さて先日、車を運手中、横断歩道に小学3・4年生くらいの女の子二人が立っていたので、その手前で止まりました。

 その小学生たちは、私の目の前を横断して、渡り終えた後に振り返り、私に向かって二人そろって頭を下げてくれました。

 その姿に私はとてもすがすがしい気持ちになりました。車を運転される方なら、誰しも経験のあることではないでしょうか。

 そして、そのようなときともすると、自分はちょっぴりよいことをしたような錯覚を起こすことがあります。

 しかし、横断歩道で人が待っているときに、車が停止するのは当然のことです。まして子どもやお年寄りが安全に歩行できることを最優先するのはなおさらです。

 運転手にとってごく当然のことをしただけなのに、子どもたちはそのことに対してわざわざお礼をしてくれたわけです。

 きっと、学校や家庭で、先生や保護者から、「横断歩道で車が止まってくれたらお礼をしましょう」といった指導があるのでしょうが、すばらしいのは子どもたちがそれを素直に聞き、素直に実行している、子どもたちのその素直さだと思います。

 これが私も含め大人ならどうでしょう。「歩行者優先は交通法規でアタリマエ」とか、「車が横断歩道で止まるのは当然こと」とか、「当然のことに何でお礼をしなきゃいけないの」などと理屈を並べ、していただいたことに素直に頭が下がらないのではないでしょうか。

 大人になるにつれ、ほんのわずかな知識と経験を得たために、かえって心が狭くなり素直になれない自分がそこにあるのかもしれません。

 横断歩道で子どもたちにすばらしいプレゼントをいただきました。 このすがすがしい気持ちを誰に伝えましょうか。どこに届けましょうか。さわやかな春の道であります。

4月16日~素直になれない自分へ2021年04月16日【378】

4月1日~一期一会で I Love You!

 うららかな花日和が続いていますがコロナ禍です。みんな集ってのお花見は禁物です。

 さて、新年度を迎え一人ひとりの新しいスタートです。また新たな出会いもあることでしょう。

 その出会いを大切にする意味で使われる言葉に「一期一会」があります。

 よく初めての人との出会いの場で、「この出会いは一期一会ですね」と使われがちですが、もっと深い意味がありそうです。

 一期一会の一期とは、自分が生まれてから死ぬまでの間のことです。一会とは一度限りという意味です。ですからこの言葉は、初めての人との出会いということだけでなく、自分が生まれてから死ぬまでの間で一度きりの出会いという意味で、同じ人であっても、何回であっても、その時の出会いは一度きりという意味です。

 この言葉の裏には、お経に示される「生死一如」という教えがあるように思います。

 生死一如の生死とは、自分が今生きているという事実と自分が死ぬという事実です。一如とは一体ということで、私が今生きているということと、私が死ぬということは、薄い薄い紙一枚の表と裏にしかなく、そよ風が吹いてその紙がハラリと裏返れば、私の死はただ今そこにあるという厳しい事実です。

 その私の命の厳しい事実を心底に踏まえてこそ、この度の一期の出会いは一度きり、すべての出会いにおいて、その時しかない限りなく大切な出会いであることが味わえるのでありましょう。

 先日、お寺の本堂で参拝されたご門徒方にこのお話をしましたら、後からある高齢の男性が私に近づいてきておっしゃいました。

 「住職さん、一期一会のお話、本当にその心がわかっていたら、夫婦げんかなどしませんねぇ」

 私はそれに応えていいました。「一期一会の心で、奥様に毎日、アイ・ラブ・ユーですよ」と…。

4月1日~一期一会で I Love You!2021年04月01日【377】

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