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11月1日~一切のもは原因があり縁がはたらいて…

 秋も深まり、テレビでは照紅葉の美しい風景が放映されています。

 さて、仏教は因縁生起の教えといわれます。インとは原因の因、ネンとはご縁の縁、ショウとは生まれる、キとは物事が起こるという字を書きます。

 つまりこの世の一切のものは、原因があり、そこに縁がはたらいて、生まれて、起こり、すべてのものは複雑に関係し合って存在しているということです。

 先日、お寺の庭に植えてあるインド菩提樹の枝を切って挿し木にしました。

 このインド菩提樹は、十数年前インドのお釈迦様の仏跡を参拝した折に、苗木をもらってきて庭に植えたものです。

 それから毎年春先に芽を出して、夏に大きく成長し、秋には高さ一メートルくらいにまでなるのですが、冬を前に必ず枯れてしまいます。

 盆地で寒さの厳しい大隅の環境に合わないのでしょう。菩提樹の芽が出る原因はあっても、それが育つご縁、つまり条件が整わないので、大きな幹になるまで成長しないのです。

 しかし、菩提樹は完全に枯れてしまったわけではありません。毎年必ず芽を出すわけですから、土の中で生きているわけで、これも枯れて死ぬご縁、つまり条件が整わないので、生命を保っているわけです。

 今回、その枝を切って挿し木にしたのですが、これもご縁、条件が整わないと、うまく根が出て成長はしないでしょう。

 よく縁起がいいとか悪いとかいうことがありますが、実は、この因縁生起を略した言い方が縁起ということで、本来はいいとか悪いとかではなく、この世の一切のものは、原因があり、そこに縁がはたらいて、生まれて、起こり、すべてのものは複雑に関係し合って存在しているというお釈迦さまが説かれた真理のことであります。

 さて、菩提樹の挿し木は上手に育つでしょうか。お水や日当たり、肥料など、菩提樹にとって、よい条件が整うように努力をしましょう。

11月1日~一切のもは原因があり縁がはたらいて…2021年10月31日【391】

10月16日~落葉は肥えた土、生きた土となり…

 幼稚園やこども園の運動会に追われてあくせくしている間に、このテレホン法話の変更を失念していました。申し訳ありません。

 これから一気に秋が深まり紅葉の季節となりますが、美しく照り輝く照紅葉はやがて落葉となり風に散っていきます。

 しかし、落ち葉は風に散ってそれで終わりかといえばそうではありません。

 大地に包まれてやがて肥えた土、生きた土となり、厳しい冬を乗り越える多くのいのちを守り支えます。  

 私たちは、自分が生きているこの今と、死ぬという未来は、人生という一本道のまだ遠い先、延長線上にあるように思いがちです。

 しかし仏教では、自分が生きることと死ぬことは薄い葉っぱの表と裏のように切り離せない関係で、落葉が風に吹かれてはらりとめくれるならば、そこには死という厳しい現実が誰にでも訪れることを教えます。

 しかし仏教はそれで終わりと説きません。なぜなら私たちは「往生浄土」という仏さまからのお約束をいただいているからです。

 往生という言葉は一般に、人が死ぬという意味で使われがちですが、本来は往(い)き生(う)まれることで、阿弥陀仏の浄土で新たないのちに恵まれることです。

 落葉がやがて肥えた土、生きた土となり多くのいのちを守り支えるように、まさしく私たちは、阿弥陀仏の本願という大いなる大地に包まれて、浄土に往き生まれ仏となり、あとに残る方々を導くはたらきをなす存在となるのです。

 「あなたの人生にどのようなことがあろうと、あなたにどのような悲しみ、苦しみがふりかかろうと、私はあなたを決して見離すことはない」。

 南無阿弥陀仏には、阿弥陀さまのそういう心が込められています。

 私たちは、その大いなるお慈悲の心におまかせするだけであります。

10月16日~落葉は肥えた土、生きた土となり…2021年10月21日【390】

10月1日~たとえ失念ばかりの私でも…

 新米がおいしい季節となりました。

 さて、先日ラジオで、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」という言葉が紹介されていました。

 これは、今年八月六日、広島市で行われた七十六回目の平和記念式典で、市内の小学六年生の二人が、子どもを代表して読み上げた「平和への誓い」の中の言葉です。

 「私たちには使命があります」という言葉に始まり、「私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです」

 「私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません」と、お二人は平和への誓いを世界に向けて力強く発信しました。

 お二人は原爆で犠牲になった方々を忘れてはならない。二度と悲惨な過去を繰り返してはならないという決意の言葉として、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」と表現されました。

 これを、浄土真宗の仏さまのお立場から申せば、私たちには「別れはない」と言えるかもしれません。

 なぜなら、仏さまとなられし方々は、あとに残る私たちのことを、いつでもどこでもどんなときでも忘れてはおられないとお聞かせいただくからです。

 たとえ私のような失念を繰り返してばかりの人間でも、仏さまは決して忘れることなく、私に何を求めて生きるべきか、何を大切にして生きるべきか、常に問いかけてくださっています。

 仏さまの方から、決して「さよなら」はおっしゃらないのです。

 そういただくと、皆それぞれに小さな力ではありますが、身近なできるところから、平和な世の中になるようにとの一歩を、また踏み出さねばなりません。

10月1日~たとえ失念ばかりの私でも…2021年10月01日【389】

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