2005年6月15日
梅雨に入り、あじさいの花が一段と輝く季節となりました。
大修復中の本堂も、いよいよ完成間近、すばらしい大屋根が出来つつあります。
さて、梅雨の時期、長雨が続くと私たちは、「蒸し暑い」「うっとおしい」などとつい不平を漏らすのですが、五月初旬、玄奘三蔵の軌跡を訪ねて、シルクロードに行ったとき、その不平を反省させられることがありました。
シルクロードの一行程、トルファン、ウルムチというオアシスが発展した町に行ったのですが、果てしなく続く岩山と砂漠、年間降水量がわずか四十ミリという所では、お酒より水の価格の方が高いのです。もちろん水道水は不衛生で飲めませんので、渇きになれていない日本人の私たちは、どこへ移動するにも必ずペットボトルを持たなければなりません。
日本で生活していますと、顔を洗うときも、食器を洗うときも、お風呂にはいるときも水道からふんだんに水が出て当たり前のように使っていますが、それがなんと有り難いことでしょうか。また逆に、私は普段、水を大変粗末にしていることにも気付かされました。
思えば十年前、兵庫県で起きた阪神淡路大震災で直ちに現場に駆けつけたとき、被災地は全く水がない状態でした。私たちが鹿児島からトラックで救援の水を運んだとき、神戸の方々は遠方からこぞってもらいうけに来られましたが、その時、一人のご老人がおっしゃったことが今でも耳に残っています。
「私は、水がなくなって、水の有り難さが、今ほんとうに分かりました。地面が揺れて、地面の揺れんことの有り難さが、今ほんとうに分かりました」
ご老人がおっしゃる通り、人間は愚かなもので、なくなって初めてその有り難さや尊さが本当に分かるのかもしれません。
しかし、「ご恩を思えば行動を」という言葉がある通り、普段の生活のかなで、その有り難さを感じたときに、それを思いだけにとどめるのではなく、少しでも行動に移すことが大切です。それが水であれば節約をする。子や孫たちとその大切さについて話し合うこともよいでしょう。
梅雨の季節です。恵みの雨に感謝しましょう。
2005年06月15日【15】