最近の記事
10月1日~強ければ強いほど…
台風二十四号が過ぎ去っていきました。久しぶりに大きな台風で、お寺の本堂も強い風にミシミシと音を立てながら必死に踏ん張っているようでした。
台風と言えば気になるのがその進路です。太平洋で発生し次第に大きくなりながら日本に近づいてきますが、近づくほどにあの扇状の進行方向が気になり出します。
運動会や身内の結婚式や法事など、大切な行事を予定している人は、どうかその日に台風が来ないでほしいと願うことでしょう。
農作物を育てている方は、どうか悪い影響が及ばないようにと、台風がそれることを願うことでありましょう。農業を生業とされている方は当然のことです。
家族や会社で旅行を計画されている方も、どうかその日に来ないように、あるいは台風の進路がその旅行先を避けるように願うことでありましょう。
台風が強ければ強いほど、進路が自分の所に向かうほどに、その気持ちは強くなります。
しかし顧みると、その自分の都合によって、台風が自分の所へ来ないように、あるいは他の地域にそれるようにと思う時、人は、その自分以外の人々や地域に心を寄せてはいません。
運動会や結婚式や法事など、自分が大切な行事を抱えているように、他の地域でも同様の方がおられます。
自分と同様に農作物を大切に育て、それを生業とされている方が他の地域にもおられます。
きっと他の地域でも、家族旅行や社員旅行を楽しみにしている方がおられるでしょう。
自分の都合だけでなく、自分以外の人々や地域に思いを寄せる時、あの扇状の進行方向の見方も考え方も変わってきます。
そのことをお釈迦さまは、「すべてのことを我が身に引き当てて生活をすることが大切です」と諭されています。
10月1日~強ければ強いほど… | 2018年09月30日【320】
9月16日~人間の現実のむなしさ悟る
この季節に力なく漂っている蚊のことを後れ蚊、あるいは哀れ蚊といいます。
さて、先日仏事の席でAさんとお話しする機会がありました。
「住職さんとお話をするのは初めてですね」と言われながら、ご自身の近況を話してくださいました。
Aさんには、30代のご子息がおられ、結婚もして子供さんもいらっしゃるとのことでした。
当初、働き盛りのご子息夫婦の姿、そしてお孫さんにも恵まれ、ほのぼのとした幸せそうな家庭を連想しながら、そのお話を聞いていましたが、その後、「実はその30代の息子がとても重い病気を患ってしまったのです」とおっしゃいました。その病気はともすると死をも覚悟しなければならない病気です。
「孫たちのことを思うと、父親の存在がいかに大きいかをしみじみと思います。私はもう何にもいりません。ただ少しでも長く息子と一緒にいたい。少しでも息子がそばにいてくれたらそれでいい」。Aさんは今の心持ちを素直にそうおっしゃいました。
私はそのお言葉聞いて、少しでもご子息の病状が好転すればと切に思うとともに、お経の一節を思い出しました。
「私たち人間は、田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。金銭、財産、衣食、家財道具など、あればあるにつけて憂いは尽きない。また、田がなければ田をほしいと悩み、家がなければ家をほしいと悩む。なければないにつけて、それらがほしいと悩む」。
私たちの毎日は、あれがほしいこれがほしい。あれを揃えなければ、これを求めなければの連続で、それが人間の日々の有り様であるが、たとえそれらがそろっても、何も頼りにはならないし、ほんのつかの間のこと、すぐに消え失せてしまうものです。
Aさんのお言葉は、その人間の現実のむなしさを覚られたお言葉として聞かせていただくことでありました。
9月16日~人間の現実のむなしさ悟る | 2018年09月15日【319】
9月1日~核ではなく「心の抑止力」を
夏休みが終わり、いよいよ二学期が始まりました。お寺では今年もサマーキャンプを行い、たくさんの子どもたちが楽しい時間を過ごすとともに、お寺に残る戦争の傷跡を見学し、平和の尊さについて学びを深めました。
さて、今月は秋の彼岸法要が勤まりますが、お彼岸は、普段仕事や家事で慌ただしい日々を送る私たちが、阿弥陀如来のお浄土の世界に心を寄せ、その教えを聞いて、日々の生活のあり方を省みる仏教行事です。
そのお浄土の世界は、争いがないということが大きな特徴です。
お経の中に、お浄土に咲く蓮の花は、「青色の花は青色の光を放ち、黄色の花は黄色の光を放ち、赤色の花は赤色の光を放ち、白色の花は白色の光を放っている」とありますが、これはそれぞれにいのちの花を精いっぱい咲かせ、対立したり争うことがない様子を示しています。
この姿に私たち人間の世界が学ぶとき、生活も、考え方も、価値観も異なるもの同士が、互いに相手の意見や主張をよく聞いて、争うことなく、どうにか歩み合いをすると受け止めることができます。
また、このお浄土に住む方々は、相手を殺めたり傷つけるような武器は一切持たないとも説かれています。
お浄土の世界は、煩悩が滅された真実の悟りの世界であり、人間の迷いや恨み憎しみを越えた世界ですから争いもなく、それ故に武器など必要のないのでしょうが、この姿に私たち人間が学ぶならば、平和への道をたゆまず歩みつづけると受け止めることができます。
核や武器の保持を進める国では、戦争を起こさないための抑止力という言葉が使われます。抑止力とはブレーキのことですが、仏さまの教えに生きるものは、究極の暴力である核や武器に頼るのではなく、常に自らの心に対する強い抑止力を持つよう努めているということです。
心の抑止力を持ちましょう。常に平和への道を歩み続けましょう。お浄土からお呼び声が聞こえてくるお彼岸がやってきます。
9月1日~核ではなく「心の抑止力」を | 2018年09月01日【318】