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3月16日~いのちというものを問い直す
日に日に春色も整ってきました。
さて、先般発行した「覺照寺だより」の中に、鹿児島県曽於家畜保健衛生所の家畜追悼法要の記事を掲載しましたが、その記事を見た京都の同僚の僧侶より、藤井敏夫さんという東本願寺のご門徒が紹介された同朋新聞が送られてきました。その新聞より一部を紹介します。
藤井さんは、小さい頃から酪農に興味があり、北海道の酪農関係の大学を卒業してから石川県の県営牧場に勤務されました。
その牧場では、やむを得ないことととして、病気になったり、足を折ってしまった牛は、生かしておいても商品価値のない牛として、牛の動脈に薬品を入れて殺していたそうです。身ごもった牛でさえもそのような時は、親子共々殺していたそうです。
藤井さんは、「その時の私は、牛を経済動物としてしか見ていなかった。殺すことに疑問すら抱かなかった」とおっしゃいます。
ある日その牧場の牛に口蹄疫の疑いがかかります。さっそく藤井さんは、お仕事としてその牧場の牛全頭を殺す、いわゆる殺処分の準備を夜通しかけて行います。
そのような中、東京の動物検疫所から牧場の牛は口蹄疫ではなかったという知らせが入り、その報告のために牛舎に行き従業員に伝えると、二人の若い従業員は抱き合って泣いたそうです。
その姿を見た時、藤井さんは、「ああ、今まで自分は牛を同じいのちあるものとして考えずに殺していた。牛も同じいのちを生きているということが見えていなかった」ことを思い知らされたそうです。
そして、自分はこのままではいけないと、いのちというものを問い直さないといけないと思い、六十一歳で牧場のお仕事を辞めて、京都の仏教の専門校で学ばれ、今も様々な場面でいのちの尊さをお話しされると共に、仏道に生きるとはどういうことなのかを問い求めて活動されています。
まことに有り難い体験談を読ませていただきました。
3月16日~いのちというものを問い直す | 2022年03月17日【400】
3月1日~人間として哀れで恥ずかしい行為
日中、次第に暖かさを感じるようになりました。
さて先日、ラジオであるリスナーからの投稿を聞きました。
そのリスナーさんが、数日前に町を歩いていたら、電気店の前で少女が涙を流しながらテレビを見ていたそうです。
なぜ泣いているのだろうと、そのテレビを見ると、画面にはウクライナで戦火を逃れて地下壕に身を隠し、泣きながら恐怖を訴える少女の姿があったそうです。
ウクライナの人々の恐怖と悲しみが、遠く日本の少女の心にまで届いてる象徴的な姿であります。
争いのない平和な世界を望まない人はいないはずなのに、紛争はこの世界からなくなりません。人間は自分のことを何よりも第一として行動する生物で、それがいざとなると相手と争ってまでも自分の思いを押しとそうとします。
先月二十四日、ロシアはウクライナに対する軍事侵攻に踏み切り、ロシア軍とウクライナ軍の戦闘が続いています。
世界の至る所でロシア・プーチン大統領に反対する抗議活動が行われていますが、いかなる政治的な理由があろうとも、武力をもって一方的に他国へ侵攻する暴挙は許されるものではありません。
お釈迦さまはおっしゃいます。
己が身にひきくらべて 殺してはならぬ 殺させてはならぬ
だれしも、自分の身や家族が何よりも大事に思っているように、相手も、自分の身や家族が何よりも大事です。そのお互いの立場を尊重する方向へ心を転換しなければ、本当の解決には向かいませんし、争いはなくなりません。
たとえ武力をもってウクライナの人々を制したとしても、永遠にプーチンさんを評価する人はいないでしょう。歴史的にも愚行を犯したお粗末な人間としか思わないでしょう。
プーチンさんは柔道をされるそうですが、真の武道家はこのような人間として哀れで恥ずかしい行為は決してしません。
人を恐怖と悲しみに陥れる戦争をすぐにやめるべきです。
3月1日~人間として哀れで恥ずかしい行為 | 2022年02月28日【399】
2月16日~めんどっちいとか、億劫とか…。
新型コロナウイルス感染拡大が止まりません。まん延防止措置も延長になりそうです。
さて、年々年を重ねると、若い世代の人に対して「最近の若いもんは…」といいたくなる時があります。
例えば、わが家の娘に対して、ちょつとした頼み事をするたびに返ってくる言葉が「めんどっちい」です。「めんどっちい」とは「面倒臭い」の最近の言い方で、その「めんどっちい」が何回も繰り返されると、「ホントに最近の若いもんは…」と愚痴を言いたくなります。
この「めんどっちい」「面倒臭い」と似た言葉に「億劫」がありますが、この言葉が仏教から来た言葉ということご存じでしょうか。
億劫は元来、「とてつもなく長い時間」を表しました。
二つの長さの表現があります。一つは、四方の長さ、上下の高さが一六〇キロメートルというとてつもなく大きな鉄の箱に芥子の実を満たして、一〇〇年に一度、一粒ずつ取り出して、その芥子の実がすべてなくなってしまう時間が一劫だそうです。
もう一つは、一辺が一六〇キロメートルというとてつもなく大きな岩石があって、百年に一度天女が空から舞い降りてきて、白い衣でその岩山を撫でて、その岩石が摩耗してすべてなくなってしまう時間の長さが一劫だそうです。
いかがでしょう。あなたはそのような時間の長さを想像できるでしょうか。その一劫を億倍したのが億劫(おっこう)という長さになり、それがなまって億劫(おっくう)となり、気が遠くなりそうなあまりにも長い時間から、なかなか気が進まないことを億劫というようになりました。
たいした長い時間もかかるわけではないのに、「めんどっちい」とか「億劫」とか返す娘に、まことに億劫な思いをしている日々であります。
2月16日~めんどっちいとか、億劫とか…。 | 2022年02月17日【398】