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12月16日~この世は虚しく真実はなく
山眠る季節。冷え込みもいっそう厳しくなってきました。
さて、今年一年、さまざまな出来事がありました。
国内では、安倍元首相の狙撃による死亡と旧統一教会問題、知床遊覧船の沈没事故や東京五輪の汚職。国際においてはエリザベス女王崩御や北朝鮮のミサイル連射などがありましたが、なんと言っても一大事はロシアによるによるウクライナ侵略でありましょう。
プーチン大統領は二月二十四日、ウクライナ侵略を一方的に開始し、九月にはウクライナ東・南部4州の一方的な併合を宣言しました。黒海では穀物輸出が停滞し、食料価格が高騰するなど世界経済にも影響を与えています。
今現在もロシアは、ウクライナのインフラ施設を攻撃しており、寒さが厳しい中で、ウクライナの人々は大変極めて困難な状況にあると伝えられます。
日本で初めて深く仏教を信仰された聖徳太子は、「世間虚仮唯仏是真」と言われ、「この世のすべてのことは虚しく真実はなく、ただ仏さまのみ教えのみが真実である」ことを教えられました。
この言葉は、単に一部の個人や国のあり方を外側から批判したり、自分の意思に沿わない事柄を一方的に批判したものでなく、人間の本質にある自己中心性、人間の心底に潜む煩悩が表れた姿、その煩悩を抱える自分自身のこととして、深く内省されたところに発せられたものであります。
現地の悲惨な報道を目にする度に、一個人ではどうすることもできないもどかしさを感じる日々ですが、一刻も早い停戦を願うと共に、自分自身と何ら変わらない人間によって、この悲しく痛ましい状況が引き起こされていることを心に刻みたいと思います。
今年一年、覺照寺「こころの電話」をお聞きくださり有り難うございました。
次回、元旦の朝、お話が変わります。皆さま、おだやかなお正月をお迎えください。
12月16日~この世は虚しく真実はなく | 2022年12月16日【418】
12月1日~お陰さまがアタリマエの行為に…
いよいよ今年も最後の月となりました。
さて、サッカーワールドカップ・カタール大会では、日本は強豪ドイツに逆転勝ち。続くコスタリカ戦では敗れましたが、最後まで精いっぱい頑張ってほしいと思います。
一方スタンドでは、日本人サポーターの試合後のゴミ拾いの行為が、海外から称賛を浴びています。そして、試合後にゴミを拾う日本人の姿を見て、モロッコやサウジアラビア、イランやフランスのサポーターたちもゴミ拾いを始めたという報道もあり、日本人の素晴らしい行為がスタンドでも広がっていることをうれしく思います。
ゴミ拾いをする日本人へのインタビューがテレビで放映されていましたが、そこでまた、一つ話題になっているのが「アタリマエ」という言葉です。
「教室やトイレ、運動場を自分たちが使った時は、最後にきれいに掃除するように、僕たちは教えられてきましたから、アタリマエのことです」と若い青年が話していましたが、ふり返れば、私たちも年配者も同じように育てられてきましたし、剣道の稽古をした道場も、いつも練習後は掃除をしていたことを思い出しました。
日本人が自分たちが使った場所を、最後にアタリマエにお掃除ができるのは、その背景にはお陰さまの教えがあるように思います。
お陰さまの「陰」とは、私を支える多くのはたらきのことで、私は決して自分一人で生きているのではなく、目には見えない多くの人とのご縁や、物のお陰によって、今日一日を支えられ生かされていることへの感謝の言葉です。
そのお陰さまの心が具わっているからこそ、自然に、アタリマエのこととして、感謝のゴミ拾いが始まったのではないかと思います。
ワールドカップでは、世界中のサッカー選手が感動のプレーを見せてくれることでしょう。と同時に、スタンドでは、アタリマエの素晴らしい感謝の行為が続くことでありましょう。
12月1日~お陰さまがアタリマエの行為に… | 2022年11月29日【417】
11月16日~蓋のとれた姿に…
十一月も半ば、初霜の便りが届く頃です。
さて、とんちで有名な禅宗のお坊さん・一休さんと、浄土真宗八代目のご門主・蓮如上人は室町時代、同じ時期に生きた方で、仏さまの教えを通して交流もあったと伝えられます。
「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助ける」
ある日、一休さんが蓮如さんに、詩を通して問いました。
これは、蓮如さんがお書きになった有名な『御文章』の中で、阿弥陀さまのお救いは条件がなく、わけへだてのない平等のお救いであり、「阿弥陀さまにたすけたまへとたのむ」ことが大切と説かれて、蓮如さんが阿弥陀さまのご本願をよりどころとすることを勧められています。
一休さんはそこをとらえて、阿弥陀さまは、本当にわけへだてのない平等のお救いを持った仏さまなんですか。だって、阿弥陀さまのご本願をよりどころとする人しか救ってくださらないのではないですかと、得意のとんちをきかせて聞いた詩です。
それに対して、蓮如さんが詩で応えています。
「阿弥陀には へだつる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ」
最近、本格的な冬到来にともなって、空気が澄んでお月さまが美しい夜が続きますが、水をためた大きな壺があると、そのまま水面に美しい月が映りますが、もしその壺に蓋がしてあれば、月が映ることは絶対ありません。
それと同じように、阿弥陀さまは、誰彼わけへだてをすることなく、常にすべての者を救おうと、慈悲の光で平等に照らしてくださっていますが、阿弥陀さまのお目当てである私たちが、その光に気づこうとせず、教えを聞こうともせず、自らに蓋をしてしまっていては、届くべきものも届きません。
常々、お寺にお参りくださる方々は、きっとこ蓋がとれたお姿なのでしょう。そして今、このテレホン法話を聞いてくださっているあなたさまも…。
11月16日~蓋のとれた姿に… | 2022年11月17日【416】