6月1日~知らない間に積もり積もって…
蜜月とはハネムーンの訳語。本来新婚旅行のことではなく、新婚間もない時期のことを言います。
さて、お寺では毎朝、本堂の掃除が日課ですが、紙切れや糸くずなど目に見える大きなゴミはすぐわかるのですが、塵やほこりといった種類のものは目には見えず、毎日こまめに掃除をしていると、あるのか無いのかはっきりとはわかりません。
しかし、普段なかなか掃除のできないところや本堂の奥の押し入れ、そして普段光のなかなか当たらないところに、懐中電灯を当ててみるとその塵やほこりがはっきりとわかります。
毎日少しずつ少しずつ溜まっていって、そこに光を当てるとその汚れがはっきりと目に見えてわかるのでありましょう。
これは本堂や家のことだけでなく、私たち人間の心や行いについても同じようなことが言えるかもしれません。
私たちは、自分のことは自分が一番わかっているように思いがちです。確かに、相手を怒らせたり悲しませたり、傷つけたりするような大きな言動や過ちは、自分でもはっきりと認識できますし、反省もできるかもしれません。
しかし逆に、相手にそれを我慢してもらったり、許してもらったりするような言動や行動には、自分自身では気づきにくいものです。
つまり大きなゴミは目に見えて取り除きやすいですが、目に見えないほどの塵やほこりなどは、自分の知らない間にたくさん溜まっているのかもしれません。
薄暗い部屋や押し入れなどに、光が差し込むと、知らない間に積もり積もった塵やほこりがはっきりと見えるように、私たちの心の中や行いも、仏さまの光によって明らかになるのです。そして、知らない間に、たくさんの人々に許されながら日々、生かされていることに気づかされるのです。
仏さまのみ教えは光そのものです。私の心を洗う真実の光であります。
2023年06月03日【429】