11月1日~再び繁栄と平和の象徴を…
晩秋の夜、か細く聞こえる季節外れの虫の声を「忘れ音」と言います。心に染み入る声です。
さて、十月三十一日の未明、沖縄のシンボルである首里城が火災に遭い主要な建物が全焼するという残念な出来事が発生しました。
テレビで、焼け落ちた城跡を呆然と見上げて、「ウチナーの心が消えてしまった」と涙を流すご老人の姿を拝見し、なんとも寂しい思いでありました。
私自身も以前、お仕事で年に数回沖縄には出向き、また覺照寺の本堂修復の折の木材は、この度火災に遭った首里城再建の木材と、同じ台湾の業者から求めた物でしたので、誠に残念でなりません。
あらためて、現在沖縄県立博物館に保管されている、元来、首里城正殿にかけられたと伝えられる「万国(ばんこく)律(しん)梁(りよう)の鐘」の銘文を思い起こします。
それは、「琉球国は南の海のすばらしいところにあり、中国と日本の間にある最上理想の島で、船で多くの国の架け橋となって貿易を行い、宝物が国中に満ちている」と、広く海外へ発展し繁栄する当時の琉球を表す有名な文ですが、その訳があとの箇所に記されていることを、以前沖縄を訪れたときに知りました。
その内容は、当時の首里城の王様である尚(しよう)泰久(たいきゆう)王は、仏さまの教えを信仰し、その仏さまの恵みに報いるために正殿前にこの鐘をかけた。尚泰久王は仏さまの教えによって民衆を救い、平和な世の中の構築に力を注いだということが書かれているということです。
当時の沖縄の繁栄と平和は、尚泰久王が仏さまの教えを信仰し、仏さまの教えを礎として築かれた。つまり首里城は琉球国の仏法興隆の象徴でもあったのです。
この度、首里城が火災で失われたことは誠に残念なことでありますが、今この時に、あらためて琉球の歴史を顧みたいと思います。
そして再び、繁栄と平和の象徴である首里城の再建されますことを、心から願います。
2019年11月01日【345】