2005年8月15日
15日は終戦記念日、6日は広島、9日は長崎原爆の日でもありました。60回目の節目の日、非戦・平和の思いを新たにすることです。
さて、今年も初盆を迎えたご門徒宅へお参りに行きましたが、Sさんのお宅で、小学生のお孫さんから、「おじいちゃんは亡くなってどこに行ったの。おじいちゃんのいる所はどんなところ」と質問を受けました。
そこで、私はこのように答えました。
おじいちゃんの往った世界は、「極楽浄土」というところですよ。ここは、皆がお互いのことを思い合って、仲よく幸せに過ごす世界です。それに対して、皆が自分のことばかり考えて、争いばかりしている世界が「地獄」という世界だよ。
例えば、「地獄湯」と「極楽湯」という温泉がありました。両方とも同じ広さで満員状態。地獄湯では、「お前の肘が当たった」「石けんの泡が飛んできた」「お湯がかかった」とケンカばかり。ところが、極楽湯のほうは、だれもケンカをしていません。なぜでしょうか。
それは、極楽湯では、皆がお互いに他人の背中を洗うからケンカにならないのです。AさんはBさんの背中を流し、BさんはCさんの背中を流し、皆が互いに背中を流し合い、結局自分の背中を流しているのです。
地獄湯では、満員の狭い中で、タオルを持った両手をいっぱいに広げて、自分で自分の背中を洗おうとするからケンカになるんです。自分のことばかり考えているから衝突が起きるのです。
「おじいちゃんは、極楽湯のような、皆がとても仲のいい、幸せな世界にいらっしゃるんだよ」と、私は話しましたが、きっと生前、おじいちゃんに大変かわいがってもらったのでしょう。お孫さんは、それを安心したような顔で聞いてくれました。
しかし、私はお話をしながら、今、私たちが住むこの世界は、地獄湯のようだなと思いました。皆が他人のこと、周囲のことを考えずに、自分のことばかり考えています。自分のことは棚に上げて人を責め立てたり、争いが大変多い世の中です。
先の世のことではありません。自分の住んでいる世界が極楽湯になるように、極楽湯のような世界を子や孫に譲れるように、一人ひとりが努めたいものです。
2005年08月15日【11】