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4月16日~ただ今、大切な教え

 桜の花もすっかり散ってしまいました。

 さて、新型コロナウイルス感染が心配され、次第に身近に迫ってくるような報道があると、私たちの日常の人間関係が少しずつ変わってくるような気がします。

 「どこどこの人が東京帰りだ」とか、「どこどこの人が発熱して検査中だ」とか、まるで犯人捜しのような会話が身近なところで起きてきます。

 人間は、その環境が平穏であれば心も穏やかなのですが、ひとたび不安や恐怖に包まれると心まで縮こまってしまうようです。さらに、心が小さく縮こまると、その小さくなった自分を守ろうとして、排除とか、偏見とか、差別の心が強くなってしまう傾向があるようです。

 十四世紀中ごろ、アジアからヨーロッパにかけて大流行し、西ヨーロッパでは人口の三分の一が亡くなったと言われるペストの大流行では、当初原因が分からず、ユダヤ人が井戸の中に毒を投げ入れたからだという全く根拠のない風評が広がり、多くのユダヤ人が殺されてしまったという痛ましい歴史があったと聞きます。

 病気が人間の体だけでなく、心まで小さくし、人間と人間の関係を変えていく怖さを感じます。そして小さくなった心が、今まで仲のよかった隣人を自分とは違う者として見る。あるいは自分の敵として見てしまう怖さがあります。

 仏さまの教えは、恐怖にとらわれたり、誤った方向へ行ってしまいがちな私たち人間に、冷静に物事を見ていく智慧を与えてくださいます。

 私たちの心を縛り小さくするものは、自分だけは助かりたいという欲であり、なぜ自分の近くに来るのかという怒りや恐れであり、目にみえないから闇雲に人を疑う愚かさです。

 仏さまは、その心の濁りを払い、澄み切った美しい心、穏やかな心、やわらかな心で物事を見て、考え、状況を判断することの大切さを説いておられます。ただ今、大切な教えだと思います。

4月16日~ただ今、大切な教え2020年04月17日【355】

4月1日~感謝とともに「庶民栄誉笑」を…

 毎日、新型コロナウイルス感染の情報が伝えられますが、三月二十九日の夜、タレントの志村けんさんが感染によって亡くなられたとの報道がありました。

 体の不調を訴えられてからわずか半月で急逝されるという報道に大変驚くとともに、このウイルスの怖さが未だ実感として受け止められない私たちに、緊張をもたらします。

 志村さんと言えば、私の世代は皆「八時だよ、全員集合」です。親から見るなと言われても、見ずにはおれない楽しい番組でした。生放送で、大がかりな舞台仕掛けのコントを、ハラハラドキドキしながら食い入るように見ていたことを思い出します。

 また、「アイーン」とか、「イッチョメ、イッチョメ、ワオ」とか、「カラスの勝手でしょ」などのギャグ。「変なおじさん」とか、「バカ殿様」などのキャラクター。「ヒゲダンス」の踊りなど、ギャグからコミカルな動きにいたるまで幅広い芸は、日本のみならず世界まで多くの人々に笑いを届けてくれました。

 志村さんの笑いの特徴は、世代を超えたわけへだてのない庶民性にあるような気がします。

 幼い子どもから大人まで、誰でもがついついまねをしてしまうギャグ。街角のどこかにいそうな酔っ払いやちょっと変わったおじさんおばさん。誰もが心の中でアタリマエと思っている事柄を、リズミカルにひっくり返す巧みな芸。

 それは、志村さんの庶民感覚と、たぐいまれなる鋭い人間観察力と研究から生まれたものであり、だからこそ、その笑いはどんな世代にも、どのような人にも通じたのだと思います。 

 まことの教えを説くお釈迦さまも、親鸞さまも、志村さんの芸を見ればきっとお笑いになったことでありましょう。

 志村さんのご逝去を心から残念に思うとともに、私たちに和やかなひとときを届けてくださったことに感謝いたします。

 そして、心の中で「庶民栄誉笑」をそっとお届けしたいと思います。そのしょうはほうびの「賞」ではなく、やはりお笑いの「笑」でありましょう。

4月1日~感謝とともに「庶民栄誉笑」を…2020年04月01日【354】

3月16日~超がつくような能力持っていようが…

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、大学などの卒業式が中止となって誠に残念な年度末です。

 さて、毎日幼稚園で子どもたちと接していると、人間は一人ひとり、様々な能力を持っていることに気づかされます。

 記憶力のいい子、絵が上手な子、字が上手な子、音感がいい子、リズム感のある子、走るのが速い子、運動能力のある子など、また自分のセールスの上手な子やリーダーシップのある子などもいます。

 子どもの持つ能力はそれぞれで、逆に、これらすべてを兼ね備えた子どもはいません。

 大人も同様で、それぞれに得手不得手、長所欠点はあり。それが人間の魅力でもあり、自他ともにそれを認め合いつつ、互いに広い心でお付き合いしていくことが大事でありましょう。

 しかし時折、新しい宗教の教祖に、自分の生まれのすごさを語ったり、超がつくような能力を持っていることを語る人がいます。

 例えば、「私はお釈迦さまの生まれ変わりだ」とか、「私は空中に浮かぶことができる」とかいった類いのモノです。

 それはそれですごいことですが、へそ曲がりの私には、その教組様が、「私はあなたたちとは元来、生まれも、持っている能力も違うのだ」と言っているようにしか聞こえません。

 もし、その人がお釈迦さまの生まれ変わりであれば、真実の仏法を説いてください。体が中を浮くのであれば、オリンピックの選手になって金メダルを取つてみんなを喜ばせてください。それだけのことです。

 人間、生まれがどれだけすばらしかろうが、どれだけ超のつくような能力を持っていようが、正しい心を持ち、正しい言動、行動をしなければ、なんの意味もありません。

 お釈迦さまは、人間の生まれの善し悪しになんの意味も無い。超能力を語らなければ真実を伝えられないようでは、なんの意味も無いと諭されました。

3月16日~超がつくような能力持っていようが…2020年03月19日【353】

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